小川和幸info
日本を一歩上の舞台へ引き上げたスリーボンドとチームアビーム/バルクヘッドマガジン
2015.07.07
このようなストーリーを誰が予想できたでしょうか。土居一斗/今村公彦(チームアビーム)が勝利するためには、高いハードルがありました。土居/今 村が勝つためには、松永鉄也/吉田雄悟(スリーボンド)を総合9位以下に下げ、フランスを挟んで、自身が8位以上にあがることでした。時には幸運の要素も 必要になる、難易度の高いミッションです。(BHM編集部)
弱すぎる微風戦となったこともさいわいしたのかもしれません。薄いブローを捉えることは難しく、反対にそれに乗ってしまえば大幅なリードも可能となります。メダルレースが、どんでん返しが起きる舞台となったことは、土居/今村を手助けするひとつの要因となりました。
松永/吉田は、第1レグで出遅れました。しかし、1上マーク10位で回航した松永/吉田に対して、土居/今村は8位回航。この時点では、松永/吉田が総合点では勝利していたので、ここから一歩前に出て4位まで上がった土居/今村の走りは見事のひとことです。
「一斗、やったぞ!」。フィニッシュ直後、後ろを振り返ったふたりは、松永/吉田がフィニッシュ直前のマークを最後尾でまわるのを確認して、今村 が叫びました。土居は、勝利を手中にしたことが、信じられないという表情でしたが、すぐに2人は抱き合い、お互いの勝利をたたえました。
「正直、何も考えられなくてただただ嬉しい、のひとことです。自分たちが5位でも勝てたが、フランスを間に入れることが重要で、それを計算しながら 走らせていました。緊張は(ロンドンの選考となったバルセロナワールドほどでは)なかったです。レース中、いつも以上に口数が多くなりましたけど(笑)」 (今村公彦)
「本当にうれしい。最後のレグでは、震えながら走っていました。今村さんにここまで引き上げてもらい感謝しています。オリンピックでは、自分が持っている最高の走りをしてきます」(土居一斗)
日本経済大の先輩後輩となる土居一斗、今村公彦(写真左)。クルーの今村が最初にナショナルチーム選考に出たのは学生時代で、アテネ五輪の選考 (2003年蒲郡)から。スキッパーは変わりましたが、4度目のキャンペーンで念願の五輪代表をつかみました。今村は3児の父でもあります。photo by Junichi Hirai
名勝負を演じたスリーボンドとチームアビームの3年間の戦い
バルクヘッドマガジン編集長は、ロンドン五輪後から新チーム体制となったチームアビーム、スリーボンドの戦いを見守ってきました。ロンドンが終わ り、今村公彦がスリーボンドからチームアビームへ。吉田雄悟がチームアビームからスリーボンドへ、というコンバートがあり、双方ともまっさらの新チームで 始まったキャンペーンです。
大学を卒業したばかりの次世代エース、土居一斗をスキッパーに据えたチームアビームが新興勢力となり、オリンピアン2人が組む松永鉄也/吉田雄悟 がベテランとなる構図です。実際に、スリーボンドのキャンペーン方法は、ふたりが思い描いていたセーリングの集大成に近かったと思います。それは、経験豊 富な松永/吉田だからこそできる活動だったし、それは隙のない見事な3年間でした。
そういう意味では、土居/今村は常に後追いするカタチだったし、実際の重要国際大会(世界選手権や主要ワールドカップ等)で、松永/吉田の成績を 越えたことは一度もありません。今回の470ヨーロッパ選手権が、初めて勝利した大会であり、これが日本代表を決める最終選考だったということになりま す。
オールラウンドの風で安定した走りのできる松永/吉田に対して、風が上がったレースになるとスピードで前に出られるが、崩すときは脆い土居/今 村。松永/吉田が、土居/今村を恐れる理由は、レースだけでなくチーム体制を含めて、それほどなかったはずです。「やることをやるだけ。そうすれば勝て る」。松永鉄也と吉田雄悟から何度もこの言葉を聞きました。
もし、土居/今村を恐れる理由があったとすれば「彼らの勢い」だったかもしれません。本大会4日目。ここが正念場と決めた土居/今村は、吹き上 がった風を味方につけて、14位から9位まで上昇しました。一気にメダルレース圏内、松永/吉田を射程圏内にとらえて、相手にプレッシャーを与えました。 決勝に入ってからの松永/吉田は徐々に順位を下げていく流れです。ここで、土居/今村は「勢い」を手にしました。
土居/今村、オリンピックに日本代表として送り出すには、十分な素質を持ったチームです。そして、残り1年の間で、未知の領域へ到達してくれるも のと期待します。敗れた松永鉄也/吉田雄悟は、日本チームが現時点でできるセーリングキャンペーンの理想形を提示してくれました。これは、日本の財産とな り継承されていくでしょう。彼らが示した活動を無視して進むようなら日本の発展はありえません。
日本代表選考は素晴らしい戦いでした。選手のみなさん、おつかれさま。ありがとう。
既報の通り、日本女子代表は吉田 愛/吉岡美帆(ベネッセホールディングス)に決定しました。吉田は北京、ロンドンに続く3度目。吉岡は初のオリンピック出場となります。「はじめて日本代 表になった時は、夢がかなって泣きましたが、今回、涙はありません。このキャンペーンは金メダルを取るという目標があります。うれしい気持ちが半分、現実 をしっかり見つめて五輪までに準備をしなければ、という2つの気持ちが混じっています。五輪代表になったことで改めて気持ちを引き締めたいと思います」 (吉田愛)。「大会4日目が一番緊張しました。ここでしっかり取り返さないといけない、という気持ちで、相手の位置を考えながら自分の走りができました。 ここで得点差を詰めて気持ちが落ち着きました。(代表に決まって)いまは、あまり実感ありません」(吉岡美帆・写真右)。photo by Junichi Hirai」
◎470European Championship
http://2015europeans.470.org/en/default/races/race
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バルクヘッドマガジンより
http://bulkhead.jp/category/news/
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OCEANS WATCHER
小川和幸
気象予報士、オーシャンプロデューサー
出生地 東京都目黒区
居住地 神奈川県茅ケ崎市在住
WATER KIDS JAPAN代表
OCEANS MAGAZINE編集長
特定非営利活動法人EARTH WIND & WAVE CLUB理事長
OCEANSMAGAZINE facebookページhttps://www.facebook.com/pages/Oceansmagazine/1503862653179360
大学では体育会ヨット部に入部し、副将として部員をまとめるとともに、大会では学生選手権大会で優勝し、全日本選手権大会では総合6位入賞という結果をもたらす。
その後、卒業とともにウインドサーフィンの魅力に魅せられ、それ以来、20年以上続ける。また、趣味を仕事にと、マリンスポーツ雑誌の老舗マリン企画へ入社し、ウインドサーフィン専門雑誌であるHi-Windで8年間広告営業として働く。
また、Hi-Wind時代に気象予報士の資格を取得し、世界最大の気象会社ウェザーニューズ社を経て老舗波情報である波伝説(サーフレジェンド社)へ転職して、14年間、海専門の気象予報士として働く。その間には、ラジオやTVで海の気象情報を伝えながら、日本国内におけるWCTやWQS(プロサーフィン世界大会)、プロウインドサーフィン大会、遠泳では湘南オープンウォータースイミング大会などのオフィシャル気象予報士として、マリンスポーツにおける海専門の気象予報のプロとして活躍。
現在は、独立してWATER KIDS JAPANを設立し、海の気象情報アプリ「ISLANDS WATCH」を企画・運営中。
また、特定非営利活動法人「EARTH WIND & WAVE CLUB」も立ち上げ、地元茅ヶ崎や奄美大島にて、その日のコンディションに合わせてマリンスポーツを楽しみながら、子どもから大人までに海の素晴らしさや奥深さを伝えている。