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1年通してマリンスポーツを続けられるようにしたい!/広田明典

2016.05.18

WATERMANであるOCEANS WATCHERの紹介として、今回は、新潟県にてWORKSというサーフショップを経営しながら地元新潟県のサーフィンやウインドサーフィン、そしてカイトサーフィンなど、あらゆるマリンスポーツに関してリーダー的な存在であり、そのほか業界そのものを新潟県を中心に引っ張っていっている広田氏にインタビューしましたので、その内容をご紹介いたします。

 

氏名:広田明典

生年月日:1960年7月9日生まれ

職業:サーフショップWORKS経営、ヨガインストラクター

資格:NSA 公認指導員

ISA サーフィンオーストラリアサーフインストラクター国際免許

JKBA公認インストラクター、

SUPA(日本スタンドアップパドルボード協会)公認インストラクター

http://www.workssurf.jp/

https://www.facebook.com/akinori.hirota.7?fref=ts

 

◆彼の生い立ち

<海まで15分の生活>

新潟県新潟市に生まれた場所は海から歩いて15分のところにあった。そうした環境の中で生まれ育ったせいか、海への抵抗は小さいころから全くなく、周りの大人からは海は危ないので、あまり近づくなとか、もっと暖かくなってから行きなさい、と言われている中でも海にこっそり行っては兄や友達たちと遊ぶ日が続き、幼稚園のときには、周りがまだプールにすら入ったこともない中で、すでに平泳ぎができるようになっていた。

その後小学校ではサッカーに明け暮れ、中学、高校とサッカーに没頭する日が続き、高校の国体では選抜選手として背番号10番をつけて出場するほどだった。

巻高サッカー

新潟県選抜チームにて

 

また、そうした結果、サッカー推薦で日本体育大学から誘われていたが、国体などの試合で、全国にはまだまだレベルの高い選手が大勢いて、その中でやっていく自信を少し無くしていたこともあり、実際には金沢工業大学に進み、建築関係を学ぶこととなる。ただし、海での遊びが忘れることができず、18歳からウインドサーフィンを始め、サーフィンは気が付いたことにはできるようになっていたので、平日の朝にはサーフィンをやり、週末にはウインドサーフィンをやるという生活となっていた。

国体サッカー

長野国体(背番号10番が広田氏)

 

<ウインド&サーフショップ経営>

大学卒業後は、建築関係というよりは、やはり毎日海で過ごしたいという願いから、知り合いの海の家が経営していたウインドサーフィンやサーフィンのレンタルやレッスンを手伝い、その後、26歳のときに、それまで手伝っていたショップを引継ぎ、本格的なウインド&サーフショップとして、「WORKS」としてショップ経営が始まる。

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その後も、何でもやりやすいショップの目の前の海でもあったこともあり、また、何にでも興味を持つ性格から、カイトボードも初め、やがてSUPも始める。

 

<新潟のマリンスポーツ事情>

新潟県では、海に面しているにも関わらず、小学校では海は危ないので、あまり近づないように、という暗黙のルールみたいなものがあり、また、海水浴も、梅雨明けからお盆までの間しか海には入らない、という習慣が根付いてしまっているもで、梅雨明けが遅れれば、2週間程しかない、というときもあるという。これは、ほかの海沿いの場所でもよくあることであり、新潟県に限った話ではないと思う。ただし、せっかく近くに海があるのであれば、自分たちのように海で遊び、海からいろいろなことを学ばせてもらっている人間としては、少し寂しい気がするので、もっと海を身近に感じてもらい、もっと海を知ってもらい、海や自然から学ぶことをいろいろな人たちに伝えて行ければと思う。

ただし、新潟県など北陸は冬には大雪もあり、あまり海には親しめない環境なのかもしれない。でも、彼が言うには、今やドライスーツの発達などもあり、以前に比べると冬でも海に入ることに対してあまり抵抗もなくなり、冬にサーフィンを始めたいという若者も増えていて、この冬にドライスーツを購入して、サーフィンを楽しんでいる人もいるようだ。また、SUPという、誰でもやりやすく、しかも波乗りに限らず、釣りやクルージング、レースなど、いろいろなジャンルで楽しめるスポーツも出てきているので、もっと海で過ごす時間を増やしていければと願っているようだ、

 

いろいろな可能性を秘めているSUPについては、新潟県では、まだまだ人口が少なく、トラブルも多くないが、これから人口が徐々に増えてくると心配だという。ただし、業界やショップ、関係者など、力を合わせてルールやマナーなどを啓蒙し、今すでにやっている人のレベルが高くなり、尊敬できるような地域の指導者的な人材が増えてくれば、もっと海を楽しめるスポーツになる得ることは間違いないので、それができるようになるように、地域などと協力しながら地道に活動していければと語っていた。

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ジェリーロペスに憧れて大学生のころから始めたアシュタンガヨガ。

 

文:OCEANS MAGAZINE

協力:WORKS

 

 


FREESTYLE FESTA ZUSHI 2016を振り返って

2016.04.22

先日の4月16日(土)~17日(日)にかけて神奈川県逗子海岸にて開催されたJWA JAPAN TOUR 2016-17 FREESTYLE 第1戦「FREESTYLE FESTA ZUSHI 2016」は、両日ともに大会を開催することができ、初日は風が弱かったのでノンプレーニングクラスを、そして2日目は朝から南~南西寄りの風が吹き荒れ、超爆風の中、スペシャルクラスやオープンクラス、そしてプロクラスをこなし、大会としては全クラスを成立させることができています。

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ウインドサーフィンの大会としては、やはり風が吹かないとなかなか成立できないのが現状ですが、このフリースタイルの大会においては、風がたとえ吹かなくても、超微風の中でもノンプレーニングクラスを行えるので、大会成立の確率は高く、その分スポンサーもつきやすいとともに、ギャラリーも多く訪れる傾向があります。

今回のFREESTYLE FESTA ZUSHI 2016においても、初日は風が吹かなくてもノンプレーニングクラスの試合を行うことができたとともに、風も弱く、お天気も良かったので、その分ギャラリーも多く訪れ、ウインドサーフィンの大会を間近で見ることができた方も多かったのではと思います。

また、海に限らず、ビーチでもトークショーやビーチヨガなどの様々なイベントや、飲食店などの出店もあり、誰でも気軽に来れて楽しめる海のイベントとなりました。

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また2日目は爆風の中で、本来の風が吹いている中でのウインドサーフィンの試合を行うことができ、大会としては近年の中では、大成功を収めている大会のひとつではと思います。

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今回は、こうした大会を振り返って、プロクラスで見事に優勝した小林悠馬プロと、惜しくも昨年に続きフィアナルで小林プロに負けてしまいましたが、準優勝という結果を残した山本卓史プロにインタビューしたので、その様子をご紹介いたします。

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OCEANS MAGAZINE(以下OM):まず、今回の大会を振り返ってみて、どうでしたか?

山本プロ:今回は、大会実行委員として、またJWAのフリースタイル委員長として、大会を何とか成功させたいと思っていたのですが、両日ともに各クラスの大会を成立させることができ、とても良かったです。

OM:今年はエントリー数も多かったみたいですね。

山本プロ:そうなんです。まず初日のノンプレーニングでは、スペシャルクラスが8名、オープンクラスが18名、ビギナークラスが17名、U-18チャレンジクラスが12名の全部で55名で、昨年に比べると各クラスともに倍くらいに伸びていて、これだけ参加者数も増えてきてくれているので、大会としても少しずつですが、大きくなってきているのが実感できます。

OM:たしか各クラス2ラウンドずつできたんですよね。

山本プロ:そうなんです。これだけの参加者で2ラウンドずつできたので、ギャラリーの方々にもたくさん試合を見てもらえて、とても良かったです。

OM:2日目はどうですか?

山本プロ:2日目も、プロクラスが8名、スペシャルクラスが8名、オープンAクラスが6名、オープンBクラスが15名、ウイメンズクラスが5名と、こちらも増えてきています。

OM:爆風でしたが、1ラウンドは各クラスできましたよね。

山本プロ:そうですね。ちょっと風が吹きすぎでしたが、それでも1ラウンドずつできたので、とても良かったと思います。だから、2日間ともとても充実していて、大会としては一応成功かなと思います。

OM:自身の成績としてはどうですか?

山本プロ:プロクラスが行われた2日目は風がやっぱり吹きすぎて、自分自身のパフォーマンスが全然できなかったので、悔しいです。

OM:でも、あれだけの風速(20~30m/sオーバー)の中でのトレーニングもなかなかできないですよね。

山本プロ:あれだけ吹いちゃうと、もうフリースタイルではなく、ウェイブに切り替えちゃいますからね。そういう意味では、あれだけの爆風の中でのトレーニングは全然できてなかったので、これから風が強くてもフリースタイルの練習は必要だなって思いました。

OM:あと、ファイナルでは、昨年と同じように小林プロと対戦しましたが、それについてはどうでしたか?

山本プロ:やっぱり勝っていけば、必ずファイナルでは悠馬と対戦することになるって思っていたんですが、セミファイナルまでに結構力を出し切ってしまっていたので、疲れていたし、やっぱりきつかったですね。

OM:あれだけの爆風とガスティな中での試合ですからね。相当疲れてたんですね。でも、さすがは地元って言う感じがしましたね。地元の強みを生かしてファイナルまで戦い抜いて、あれだけのパフォーマンスができていたので、さすがだと思いますよ。

山本プロ:ありがとうございます。

OM:小林プロはどうですか?

小林プロ:まず初日は、風も弱くて、ちょっと北風の弱い風だったので難しかったと思いますが、それでも若い選手とかいっぱい出ていて、みんな頑張っていたので、それがとても嬉しかったです。

それと天気も良かったので、試合だけじゃなくて、ビーチイベントも盛り上がったし、ギャラリーもとても多く来ていただいたので、ウインドサーフィンを見てもらう良いきっかけになったと思うし、来年はもっと盛り上げていきたいなと思っています。

OM:2日目は?

小林プロ:2日目はやっぱりちょっと吹きすぎたかなって思いますね。それでも、あれだけの爆風が吹いてにも関わらず、何のトラブルや事故もなく、安全に無事に大会を終わらせることができたのは、運営チームのチームワークがとても良かったからだと思いますし、地元の方々の全面的な協力がなかったら、あそこまでできていなかったと思います。

OM:自分の演技としてはどうですか?

小林プロ:やっぱり風が強すぎて、自分自身の予定していたようなパフォーマンスがあんまりできなかったので、とても悔しいです。それに、これからは大西が吹いても、ウェイブではなく、フリースタイルの練習もしなきゃってつくづく思いました。でも、結果的には地元の、しかも今回のあの爆風の中での試合で勝てて優勝できたので嬉しいですし、応援してくれていたスポンサーの方々をはじめ、周りでバックアップしてくれていた方々に心から感謝しています。

OM:海外の大会に出ていますが、たとえばあれだけの風が吹いてもフリースタイルの大会ってやるんですか?

小林プロ:自分が出てきている大会の中では、あれだけの風が吹いていることはないのでわかりませんが、大きなグランドスラムとかの大会になると、波もでてきてしまうので、ウェイブに切り替えることが多いですね。

OM:ファイナルで昨年と同じ山本プロと対戦しましたが、それについてはどうですか?

小林プロ:誰が相手でも、常に全力でやるしかないっていっつも思っていましたし、それが山本プロにファイナルで当たって、同じ逗子でいつも練習している山本プロだし、地元の大会で、同じ逗子をベースにしている山本プロと対戦できて、とても嬉しかったです。

OM:フリースタイルの大会としては、この逗子の大会がかなり盛り上がってきている、という印象がありますが、やはりお二人の活躍が効いているんですかね?

小林プロ:地元の強みはあるかもしれませんが、でもやっぱり周りの方々のご協力のおかげだと思います。

OM:あと、今回の大会で、10代、20代の参加選手が結構目立っていましたが、そのあたりについてどうですか?

小林プロ:フリースタイルってほかのウインドサーフィンの種目と比べると、ハードルがそんなに高くないと思います。それは、風が弱くてもできるし、少しでも吹いていればプレーニングしなくてもできてしまうので、そんなに危なくないし、子供たちだけでも安心してできる、というのがあると思います。

あとは、この逗子海岸であれば、山本プロをはじめウインドサーフィンのインストラクターや大人のベテランウインドサーファーが多いので、子供たちがやっていても、いつでもアドバイスもできるし、安全面でも見ていられるし、そうした環境が、子供たちを良い形で育ててきていられる、というのがあると思います。

OM:ちなみに小林プロが子供のころはどうでしたか?

小林プロ:自分のほかにウインドサーフィン自体をやっている子供はいなかったので、ある意味、今の子供たちはうらやましいです。

OM:しかもフリースタイルを練習してるなんて子供はいなかったんですもんね。

小林プロ:そうです。フリースタイルをやっている大人のウインドサーファー達はたくさんいましたが、子供でやっているのはいなかったですね。

OM:子供たちの成長という意味では、逗子は本当に良い所なんですね。

小林プロ:そうですね。あと、子供たちがやっていると、またその子供たちが友達を誘ってきてくれるんで、それでお互いがライバルになって切磋琢磨し合えるんで、本当に良い形になってきていると思います。キッズスクールとかも充実してきているし。

OM:あとは身近に小林プロや山本プロもいますしね。

小林プロ:そうですね。なんか海外のような感じですよね。海外だと、放課後にみんな子供たちが海に集まって、みんなでウインドサーフィンとかして、そうした生活が自然になって。それが今、逗子ではそうなってきているんで、とても良い流れになってきていると思います。

OM:それが今回のように大会に参加して、子供たちで盛り上がって、それを見た子供たちがまたやりたくなって、という良い流れができつつあるんですね。

小林プロ:そうなんです。実際に去年に試合に出た子供たちが友達をそのときに連れてきて、その友達がウインドを始めていますからね。

OM:素晴らしいと思います。

小林プロ:この逗子って、あとは風が弱いときでもフリースタイルの練習ができるので、それがきっと基礎練習にもなって、さらにうまくなっているんだと思います。

OM:フリースタイルって風が弱いときに練習すると、すごく練習にもなるし、微風でも楽しくなりますよね?

小林プロ:世界でも、PWAを回っている選手とかは、みんなもともとフリースタイルの選手だったり、フリースタイルでチャンピオンだったりしてる選手がPWAのウェイブを回っていたりするので、フリースタイルってウインドサーフィンの基礎になるんです。だから、ウェイブに憧れている人でも、フリースタイルをやっていると、きっと役に立つと思います。

OM:だから逗子の選手は、フリースタイルも上手いし、ウェイブも上手いんですね。

OM:ちなみに山本プロも、もともとフリースタイルが好きだったんですか?

山本プロ:そうですね。自分はもともと浜名湖の村櫛というところでウインドを20歳のときに始めて、そこもとってもフリースタイルがやりやすいところなので、みんな周りもやっていて、自分もすぐにやりたいと思っていました。でも、浜松の舞阪とかに行けば、ウェイブもできるので、風が吹けばウェイブもやっていましたね。

OM:それでフリースタイルを浜名湖でいつも練習していたんですか?

山本プロ:そうです。もうウインドを始めてプレーニングできるようになったらすぐにフリースタイルを練習して、2年目には大会のビギナークラスにも出ていましたね。

OM:よっぽどハマったんですね。

山本プロ:そうなんです。

OM:それでいつごろ逗子に来たんですか?

山本プロ:30歳のときです。今から4年前ですね。

OM:逗子ってやっぱりフリースタイルがやりやすいところだってすぐに思いましたか?

山本プロ:ほかにあまりポイントを知らなかったというのもあるんですが、でも、ここならやりやすいし、すぐにフリースタイルをやるんだったら、ここが良いなって思いました。

OM:たしかこの大会も今年で4年目ですが、ということは山本プロが逗子にきてすぐにこの大会が開かれたということですね。たしか、この大会の発起人と聞いたんですが。

山本プロ:逗子に来て、すぐにウインドサーフィンを盛り上げる良いアイデアはある?って逗子ウインドサーフィンスクールをやっているウインドプランニングの社長に聞かれたときに、すぐにフリースタイルで盛り上げたい、JWAの大会を開きたいって言いました。

OM:逗子は人も多いですからね。

山本プロ:そうですね。逗子ってまずはウインドサーファーが多いし、駅も近いし、東京からも近いし、きっとここならたくさんの人に見てもらえるんじゃないか、それで、ウインドサーフィンをもっと盛り上げていけるんじゃないかって思いました。

OM:大会4年目にして、徐々に大きくなってきていますね。

山本プロ:はじめは自分の発案だし、自分が頑張らなくちゃって思っていたのですが、社長をはじめ、街の協力だったり、周りの方々の理解やご協力があって、ここまでこれていると思います。

OM:この逗子の大会って街もそうだし、各ショップもひとつにまとまって大会を盛り上げているという印象がありますが。

山本プロ:そうなんです。本当に周りの方々の協力があって、ここまで来れていると思います。

OM:ほかの地域でもこうした形でできると良いですね。

山本プロ:そうですね。今年は海だけではなくて、ビーチイベントもたくさんできたし、それで盛り上がったというのもあるので、本当に感謝しています。

OM:コンディションも最高ですものね。

山本プロ:持っているんですね!(笑)

OM:本当にそうだと思います。自然を味方につけたら強いですからね。

小林プロ:ちなみに今までの4回のうち3回は風も吹いているし、恵まれていると思います。

OM:来年もさらに盛り上がると良いですね。

山本プロ:そうしたいです。

OM:ところで、小林プロは、これから海外の試合も出るんですよね。これからの抱負とか聞かせてもらえますか?

小林プロ:まずは5月に行われるオーストリアの大会に出てきます。昨年は風が足らなくて不成立だったんですが、今年は吹いてくれればと思っています。今年の2月にボネールでトレーニングを積んできた成果を出したいし。あと、今年は海外の試合を2回予定しています。ひとつは、フェルテ・ヴェンチュラと、もうひとつはシルトの大会です。

OM:それ以外も本当は出てみたい?

小林プロ:そうですね。できれば、自分の経験を積むという意味も含めて、もっと出たいです。でも、PWAではこの3戦しかないんです。だから、ヨーロッパの大会にもできれば出れたらなって思っています。仕事の調整が必要ですが。ヨーロッパでは、年間5~6戦行われているので、PWAよりは規模は小さくなりますが、経験という意味で行ってみたいです。それも、できれば、若い選手たちを一緒に連れて行ければもっと良いですね。

OM:若い世代たちに世界を経験させるのも大事ですからね。

小林プロ:そうなんです。自分自身も若い選手たちが下からぐんぐんと迫ってきていて、正直危機感とかもあるし、もっと経験を積んでうまくなって、いつまでも若い選手たちのお手本でいたいって思いますし、若い選手たちにとっても、良い経験になるし、実際に海外でやれば、絶対にその成果はあると思います。

OM:今年のボネールのように。

小林プロ:そうです。ボネールって常に風も4.8㎡~5.3㎡くらいは吹いているし、インサイドは波もなくてポートもスタボーもフラット海面で練習できるし、沖へ行けば波も割れているので、そうした中でも練習もできるので、そんなところってあまりないと思います。しかも世界からトップ選手たちが2月~3月あたりは集まっているので、そうした選手たちと一緒に練習することになるので、それはすごい上達するんです。自分もかなり上達したと思います。

OM:世界のトップ選手たちってどういうトレーニングをしているんですか?

小林プロ:風がいつも吹いているので、いつまでもダラダラ乗っているのではなくて、時間を決めて、その中で集中して練習していますね。朝から吹いていれば朝乗って、そのあと筋トレしている選手もいます。あと、スラロームを取り入れている選手もいますね。PWA選手の中にはスラロームも全戦ではないですが、スラロームの試合にも出て、スピードを出す練習とかしていますね。そういう選手がフリースタイルの上位に食い込んできているんです。

OM:スピードって大事なんですね。

小林プロ:だから、スラロームとかフリースタイルとか、ウェイブももちろんだし、いろいろなことをやるのが結果的にフリースタイルの練習にもつながっているんだと思います。

OM:世界に出て、世界の舞台で活躍する日を楽しみにしています。これからもがんばってください。

小林プロ:ありがとうございます。

OM:山本プロも、毎日インストラクターという大変で忙しいお仕事の中ですが、もっともっと逗子をはじめ、フリースタイルはもちろん、ウインドサーフィンを盛り上げられるよう、これからも応援しています。

山本プロ:ありがとうございます。

 

以上、インタビューでした。

彼ら二人は、フリースタイル界はもちろん、ウインドサーフィン界には欠かせない二人となっていますし、地元と一緒に大会を盛り上げ、もっとウインドサーフィンが盛り上がることを願っています。

また、山本プロは、本当にまじめで、真剣にこれからのウインドサーフィンのことを考え、フリースタイルという競技を通して何とかウインドサーフィンを盛り上げていきたいと考えているのがよくわかりました。

インストラクターという職業は、単にウインドサーフィンを教えているだけではなく、その楽しさや自然の美しさ、さらには人間的な成長にもつながるような効果をもたらしてくれる、とても大変で立派な職業だと思いますが、そうした大変なお仕事をしている中で、今回のような大会を地元と一緒に盛り上げ、たくさんの方々の理解を得ながらここまできているのは、山本プロの人柄であり、誠実さだと思います。これからも応援していますので、頑張ってください。

あと、小林プロは、まさに日本を代表するプロウインドサーファーであり、これから海外へ出て行って、まだまだ活躍してほしいと思いますし、それを約束してくれています。また、STARBOARDというメーカーの仕事もしながらのプロ活動なので、それもかなり大変だとは思いますが、みんなで応援していますので、頑張ってほしいと思います。また、小林プロを目指して頑張っている若い世代たちにも良いお手本であり、良い刺激となっていると思いますので、いつまでも常に前進している姿を見せていって欲しいと思います。

これからもお二人を応援していますので、頑張ってください!インタビューのご協力、ありがとうございました。

最後に、来年へ向けて一言ずつもらいました。

https://www.youtube.com/watch?v=BXqHUN_npjI&feature=youtu.be

J-100 小林悠馬

スポンサー:STARBOARD、SEVERNESAILS、ON’S、LUCKYISLAND、江戸一、グローバルアイ、GoPro、adidas eyewear、ZEN、CB、ZUSHI WINDSURF SCHOOL

https://www.youtube.com/watch?v=Ymj_Nq1iMlA&feature=youtu.be

220 山本卓史

スポンサー:逗子ウインドサーフスクール、CB surfers、NEILPRIDE、JP

 

大会の詳しい動画はこちらです。

https://www.youtube.com/watch?v=ci6W21xyzLw

文・写真:OCEANS MAGAZINE

協力:STARBOARD JAPAN、逗子ウインドサーフィンスクール、CBサーファーズ、ウインドプランニング


WORLD PERFORMANCE インタビュー第4弾(GRAHAM EZZY)

2016.04.15

さて、3月に開催されたWORLD PERFORMANCEの際に来日した海外のトッププロのインタビュー第4弾として、今回はあのEZZY SAILのデザイナーであるDAVE EZZYの息子であるGRAHAM EZZYです。

彼はそんなに大柄ではないのですが、腕も体もかなりごついというイメージで、握手したその手の力はもちろん、彼の体の中から出るエネルギーを直接感じることができました。

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NAME:GRAHAM EZZY

SAIL NUMBER:USA-1

BIRTHDAY:1989.10.5

BORN:ハワイ・マウイ生まれ

AGE:26歳

SPONSORS:EZZY SAILS、TABOU BOARDS、DAKINE、CHINOOK、BLUESMITHS、K4 Fins

 

彼はEZZY SAILSのDAVE EZZYの息子として生まれ、小さいころからマウイではかなりウインドサーフィンがうまいことで有名だったようです。

OCEANS MAGAZINE(以下OM):はじめてウインドサーフィンをしたのはいつですか?

GRAHAM:そんなに小さき時ではないよ。たしか9歳のときかな。キッズ対象のサマーキャンプがあって、そこで初めてウインドサーフィンに触ったんだ。

OM:そのときからウインドサーフィンに興味があったのですか?

GRAHAM:いや、そうではないんだ。キッズサマーキャンプのときには、まあ、こんなもんか、という感じで、あまりウインドサーフィンにのめり込むことはなかったね。それに、その後も学校の放課後に友達とかとただの遊びで少しやっていただけで、特にウインドサーフィンが大好きで、ということはなかったんだ。

OM:でも、子どものころからウインドサーフィンがうまいってマウイではかなり有名だったんですよね?

GRAHAM:そうなのかな。あまり実感はないけど。でも、小学校高学年になるころから、少しずつウインドサーフィンが面白くなってきて、それから少しずつうまくなっていったのかも。

OM:プロとして意識するようになるまでにはもしかして時間がかかった?

GRAHAM:そうだね。両親の勧めもあって大学にいっていろいろと勉強して、その中でも文学にすごく興味を持って、今でもエッセイとか、本を読んだり、自分でも書いたりするのもとても好きなんだ。

OM:でも、14歳(2004年)のときにたしかハワイのPWAの大会(HAWAII PRO)に出場して、世界にその名を広めるきっかけとなりましたよね。あと、18歳のころにはJAWSに初めて入って、そのビッグウェイブの魅力にもハマッた?その後、20歳(2009年)のときにも、PWAのカボベルデの大会で優勝して、その実力は世界で通用することを証明しましたね。

GRAHAM:そうだね。でもまだ20歳のころは学生だったし、まだプロとしてやっていこうとかは思っていなかったんだ。

OM:そんなんですね。プロとしてやっていこうと思ったのはいつごろですか?

GRAHAM:実は2年前くらいかな。ちょうどそのころ、ALOHA CLLASICで5位という成績を残せて、それからプロとしてやっていこうと決心して、PWAも精力的に回り始めたんだ。

OM:昨シーズンはPWAで総合17位ですね。

GRAHAM:そう。でも、やっぱり世界の頂点をいつかは獲ってみたいね。でも、それと同時に、文学がやっぱり好きだから、本をもっとたくさん読んだり、自分でもエッセイを読んだり書いたりしていきたいと思っているんだ。ウインドサーフィン以外にもまだまだやりたいことはたくさんあるんだ。旅も好きだし、料理とかも好きだしね。

OM:これからの活躍を期待しています。ありがとうございました。

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彼は、2012年、2014年に日本の御前崎で行われたWorld Performanceに出場して、2012年には優勝、2014年は2位という成績を残しています。

プロとしてこれからも精力的に世界を回り続けると思いますが、彼はこれからも世界を旅しながらも、興味のある文学と接点を持ち続け、ウインドサーフィン以外にもほかのジャンルにも興味があるので、それらを総合的に学んでいきながら、これからも活躍していくのだろうと思います。

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彼は、まじめで周りにも気を使うナイスガイではありますが、ひとたび海に出るとダイナミックで力強いライディングを見せてくれ、彼の魅力にハマッているファンも多いのではと思います。また来年も御前崎で会えることを楽しみにしています。

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今年のWORLD PERFORMANCEの映像はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=8lBrp9c0u-8&feature=youtu.be

文:OCEAN MAGAZINE

写真:HARRY

協力:LEGEND

 


WORLD PERFORMANCE インタビュー第3弾(ANTOINE MARTIN)

2016.04.08

3月に開催されたWORLD PERFORMANCEのときに来日した海外選手のインタビュー第3弾として、ANTOINE MARTINのインタビューをご紹介いたします。

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NAME:Antoine Martin(アントワン・マーティン)

SAIL NUMBER:F-193

BIRTHDAY:1993.10.19

BORN:カリブ海のGuadeloupe生まれ

AGE:22歳

MAIN SPONSORS:NEILPRIDE、JP

 

今回来日した世界のトッププロのうち、一番最年少のANTOINE MARTINは、とてもきさくでフレンドリーな性格で、誰とでもすぐに仲良しになれる人柄です。ただし、最年少の割にはとても礼儀正しく、常に周りの人たちに対する感謝の気持ちを忘れずにいる、ナイスガイな一人でした。

でも、海に入れば年齢は感じさせず、若さゆえにかなりアグレッシブな動きやパフォーマンスを見せて切れていました。初日に行われた大会でも、彼のジャンプや波乗りの技術はさすがは世界大会を回っているだけあって、世界級な技を見せつけ、惜しくも大会では3位となってしまいましたが、もう1チャンスあれば、優勝もしていたのでは、と思わせるほどのパフォーマンスでした。

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それでは早速インタビューをご紹介いたします。

OCEANS MAGAZINE(以下OM):いつからウインドサーフィンを始めたのですか?

ANTOINE:5歳のときさ。父親はWINDY SAILSというセールメーカーだったこともあるので、その影響で自然とウインドサーフィンを始めていたんだ。だから、いつも父親に教えられながらやっていたね。でも、なぜかそれが楽しくて、メキメキと上達していったんだ。

OM:キッズのときから大会に出ていたようですが。

ANTOINE:そうなんだ。なんかうまくなってきたのが面白くて、父親の勧めで大会にも出始めていたね。そう、ちょうど7歳の時かな、地元Guadeloupe島のKIDS大会で優勝したんだ。このときは、なんだかわけがわからず、ただ楽しいだけでウインドをやっていたら、いつの間にか大会で優勝できてたって感じかな。

OM:楽しいのが一番なんですね。

ANTOINE:そうだね。そのあとも何回か大会で優勝して、ちょうど14歳のときにはジュニアのフランス大会でもチャンピオンになれたんだ。

OM:14歳でジュニアチャンピオンになったってことは、プロになることを意識していた?

ANTOINE:そうだね。その前にすでにプロを意識していたけどね。

OM:それはいつごろ?

ANTOINE:12歳のときに父親の仕事の関係でMAUIへ行ったんだ。このとき、ALOHA CLASSICを初めて見て、衝撃を受けたね。体の中で何かが爆発したって感じかな。それで、自分もプロウインドサーファーになってみたいなって思い始めたんだ。

OM:プロになったのはいつ?

ANTOINE:17歳(2011年)のときかな。プロになる夢を実現できたことで、そのときはとても嬉しかったよ。でも、そのあともウインドサーフィンは楽しかったけど、すぐにはなかなかスポンサーとかには恵まれなかったから、少しだけ苦労したかな。

OM:今年はPWA総合順位は15位で終わっていますが、2014年には総合9位でしたね。

ANTOIN:そう。でもやっぱり世界タイトルをいつか捕りたいね。

OM:日本のセイラーに対して、どうしたらPWAの選手として活躍できると思いますか?

ANTOINE:普段からのトレーニング(サーフィンやスケートボード、ランニング、ジムなど)はもちろん大事だし、計画通りやり続けることがまずは重要。あとは、ウインドサーフィンが大好きで、とにかくやり続けること。それとやはり両親とかの理解や援助ももちろん必要だね。それで自分は相当助けられたから、とても感謝しているよ。でも、最後はやっぱり自分かな。世界に行ったらたった一人で何でもやっていかなくちゃいけないから、常に自分一人でもいつも頑張り切るだけのモチベーションと強い精神力を持ち続けて、決して夢をあきらめないことだね。

OM:これからの活躍を期待しています。ありがとうございました。

 

彼の言葉の中にもありましたが、彼自身、プロとしてここまでくるまでにはやはりかなり苦労しているようで、両親への感謝の気持ちはもちろん、自分を支えてくれている周りの関係者の方々やスポンサーの方々には心から感謝していて、それをいつも忘れないようにしている、と言っていました。

彼はまだまだ若いですが、子どもの頃から決してエリートコースをたどってきているのではなく、人一倍の努力と強い精神力を持ってここまできていることがわかりました。

昨シーズンのPWA総合順位は15位ですが、2014年は総合9位で、十分にそれ以上の順位は捕れるだけの実力はあり、さらには、彼自身が目標としているPWAの総合チャンピオンを捕る日はそう遠くはないのではと感じさせていました。

1年の約4か月は自分の故郷であるカリブで過ごせるものの、それ以外は大会などのためにハワイやヨーロッパを回り続けている忙しい彼ですが、また来年も御前崎に来てくれることを期待しています。

文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY

協力:シュリロトレーディングカンパニーリミテッド


WORLD PERFORMANCE インタビュー第2弾(JAEGER STONE) 

2016.04.01

WORLD PERFORMANCEのときに来日した海外からのトッププロ選手インタビュー第2弾として、今回はJAEGER STONEのインタビューをご紹介いたします。

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NAME:Jaeger Stone

SAIL NUMBER:KA-120

BIRTHDAY:1990.10.2

BORN:Geraldton Western Australia

AGE:26歳

MAIN SPONSORS:STARBOARD、SEVERNE SAILS

 

今回来日した4人の海外トップ選手のうち、一番シャイでカラダつきもとてもきゃしゃだし、一見物静かな選手なのですが、いったん海へ出ると、その姿は一変し、大きなカラダに見えると同時に大胆でアグレッシブなパフォーマンスを次から次へと見せてくれる、さすがは昨年2015年の世界総合第3位のウェイブパフォーマーだと納得できるライディングを見せてくれる選手です。

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初日に行われた大会では、ポートタックが得意だとする彼には苦手な御前崎だと思われていたものの、その予想は一瞬にして消え去り、この十分なパフォーマンスができるのであれば、得意とするポートタックとなったときには、どれだけのパフォーマンスを見せてくれるのかと、誰もが想像したことでしょう。

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それは、大会がコンディション不足で行われなかったオフの日に見せてくれた、風速4~5m/s程度の普段ではとても海に出ようとはしないようなコンディションの中で見せてくれたウェイブライディングでも証明されていました。

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そのときの映像はこちら。

(このときの使用ボード:82L、使用セイル:5.2㎡)

https://www.youtube.com/watch?v=zx6RM7zioyw&feature=youtu.be

 

以下、インタビュー。

OCEANS MAGAZINE(以下OM):いつごろからウインドサーフィンを始めたのですか?

JAEGER:11歳のときにシェイパーである父親の影響でサーフィンやウインドサーフィンを始めたよ。その前も海では遊んでいたけど、そんなに本気になってはやっていなかったんだ。でも、なんだかやっているうちにだんだんうまくなって、そうしていくうちに面白くなってきて、そしたらウインドサーフィンも本気でやってみようかな、って思ってきたんだ。

OM:普段はどこでウインドサーフィンをやっていたの?

JAEGER:ウェストオーストラリアさ。特にジェラルトンかな。ここは風も吹くし、波もあるからね。とても良いトレーニングができるところなんだ。

OM:その後、PWAに出るようになったの?

JAEGER:そう。うまくなってきたときに初めてPWAのGran Canaria Pozoの大会に出場したんだ。それが15歳のときかな。

OM:15歳ですでにそんな凄い大会に出ていたの?

JAEGER:そう。ジェラルトンでトレーニングしていたから出られたんだと思う。

OM:11歳で始めて15歳でプロの大会に出られるなんて本当に凄いですね。あと、20歳のときにはオーストラリアでチャンピオンにもなっていますね。

JAEGER:そう、2011年にはオープンメンズでオーストラリアのWAVEチャンピオンにもなれたんだ。とてもラッキーだったね。同時にPWAも回り始めたしね。

OM:その後順調に成績も残して、昨年の2015年には総合で3位になりましたね。

JAEGER:そうなんだ。とても嬉しいよ。でも、やっぱり世界のトップになりたいね。

OM:それも時間の問題では?

JAEGER:そうだと嬉しいね。

OM:ここ御前崎はどうですか?

JAEGER:風も波もとても良いね。今回で2回目なんだけど、前回はあまり良いコンディションに合わなかったけど、今回はとても良い風と波に恵まれたし、楽しかったよ。それに、サポートしてくれる駒井さんをはじめ、ユウマとか、石井さんにも感謝してる。みんなとても親切だし、日本は素晴らしいよ。

OM:ありがとうございます。また来年もお会いできることを楽しみにしています。

 

大会映像はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=8lBrp9c0u-8

facebook:https://www.facebook.com/worldperformanceeventinfo/

 

文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY、OCEANS MAGAZINE

協力:STARBOARD JAPAN


ALEX MUSSOLINI インタビュー

2016.03.22

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さて、今回から新たなインタビューとして、先日、静岡県御前崎ロングビーチにて開催された「WORLD PERFORMANCE 2016」の際に来日した海外のトッププロ4名(ALEX MUSSOLINI、JAEGER STONE、ANTOINE MARTIN、GRAHAM EZZY)のそれぞれのインタビューを全4回にわたってご紹介したいと思います。

ちなみに彼ら4名は、現役で世界で活躍する正真正銘の世界のトッププロウェイブライダーで、今回わざわざ日本のこの大会のために来日して、日本代表選手たちと対戦するとともに、約1週間のウェイティング期間中、世界のライディングを披露しつつ、日本の一般ウインドサーファーたちとも気軽に交流をすることができ、風がないときでも一緒にスケートボードやハムボード、サーフィンなどをして、ゆっくりとふれ合うことができました。

https://www.youtube.com/watch?v=GVFGxoCA5wc&feature=youtu.be

大会については、結局コンディションの関係で大会初日である3月8日(火)のみしか行われませんでしたが、その日だけは御前崎特有の西寄りの風+頭半サイズのしっかりとしたうねりという、今シーズンの中でこれ以上にないコンディションという中で行われ、日本代表選手は地元のメリットを最大限に生かして真向から戦うことができ、世界のトッププロたちの壁の前で惜しくも負けてはしまいましたが、国内の戦い以上のパフォーマンスが出ていたと思います。

また、それ以上に海外からの4名のトッププロたちは、度肝を抜かすほどのパフォーマンスを見せてくれ、日本の選手たちはもちろん、スタッフ、そして会場へ来たギャラリー、さらにはライブ画像で見ていたたくさんのギャラリーを興奮させる大会となりました。

詳しくは、以下をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=8lBrp9c0u-8

facebook:https://www.facebook.com/worldperformanceeventinfo/?fref=ts

 

さて、今回から彼らのインタビューを通して、彼らについて簡単にご紹介するとともに、今後も彼らを応援して、また来年も日本へ来ていただくことを期待したいと思います。

まず第1回目としては、今回のWORLD PERFORMANCE 2016において、前回に続いて2連覇を達成したALEX MUSSOLINI(アレックス・ムッソリーニ)選手にインタビューしたので、彼についてまずはご紹介したいと思います。

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NAME:ALEX MUSSOLINI(アレックス・ムッソリーニ)

SAIL NUMBER:E-30

BIRTHDAY:1984.12.2

BORN:アルゼンチン生まれスペイン育ち

AGE:31歳

スポンサー:RRD

 

彼は7歳の時に両親の影響でウインドサーフィンをはじめ、その後メキメキと腕を上げていって、14歳のときにはウインドの腕をさらに上げるために単身でマウイへ渡り、学校へ通いながらウインド漬けの毎日を過ごしていたようです。また、そのときにわずか3か月でバックループやプッシュループなどのジャンプ、そしてゴイターや360°など、様々な技を身に着け、周りからも一目置かれるようになっていました。これだけ聞いても、彼の才能、そしてその努力は世界トップレベルと言えると思います。

ただし、マウイへ渡ったときにはまだプロとして将来やっていくかどうか、まだ明確には考えていなかったようです。でも、その後ウインドするたびにスキルもアップしていくにつれ、プロとしての将来が見えてきて、18歳(2002年)のときにスペインで総合チャンピオンに輝いてからPWA(世界プロツアー)を回り始め、毎年着実に順位を上げていき、大会でも良い成績を残しつつ、28歳(2012年)のときにはPWA総合3位、そして翌年の29歳(2013年)のときにはPWA総合2位となっています。

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Alexは日本には今回で6回目ということですが、御前崎を含め、日本の波や風は大変気に入っているようで、毎回良いコンディションに合うとともに、周りのサポートしてくれるスポンサーの方々や日本のセイラーの皆様にとても感謝していると言っていました。

また、10年以上も世界を回っている彼に、どこの波や風が好きですか?と聞いてみたのですが、もちろんカボベルデやカナリー諸島など、いつも風が吹いていて、波も申し分ない場所もあるのですが、そのほかの場所でもそれぞれに良いところはあり、もちろん日本も同じで、どこが一番というのはなかなか言えないと言っていました。また、スタボータックやポートタックなど、得意不得意などと言う人もいますが、世界に行けば、そんなことは言ってられず、どこの場所でも、どういったコンディションでも自分なりに対応することが大事で、自然に合わせ、自分が周りの環境に合わせていくことが一番大事だと言っていたのがとても印象的でした。それは、彼がどちらからの風でも不得意とするものは見せず、どちらでも自分の最大限のパフォーマンスができることからも納得できます。

彼の強さは、もしかするとそういったところにあるのかもしれません。

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日本のセイラーをはじめ、これからの若いセイラーたちに向けては、トレーニングも重要ですが、やはり海にできるだけ入って、ウインドサーフィンが大好きになり、とにかくウインドサーフィンをやり続ければ、結果はおのずとついてくると熱く語っていました。

今回の彼のパフォーマンスは、ジャンプにしてもウェイブにしても、常に安定した高レベルなパフォーマンスを見せていて、とにかくワイプアウトも少ないし、ジャンプの完成度が高いという印象がありました。これは、彼のキャリアの深さとともに、つねに今もなお進化している証拠だと思います。

前回に続いて大会では優勝という結果を獲得しましたが、世界の戦いの中でも、彼は常に優勝を意識して、世界でまたトップという座を獲ってくれることが期待されています。

今回、日本へ来ていただき、ありがとうございました。そして、また来年、新たなALEX独特の世界のパフォーマンスを見せてくれることを願っています。

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文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY(全て今回の大会中の写真です)

協力:ON’S company

通訳協力:MAKOTO.H


TOYOTA JAPAN CUP 2016インタビュー番外編(小玉欣一)

2016.03.15

今年の1月15日(金)~17日(日)にかけて沖縄県八重山郡竹富町小浜島リゾナーレ小浜島にて開催された、JWA JAPAN TOUR 2015-16 SLALOM 第4戦の『TOYOTA JAPAN CUP 2016』のインタビュー番外編として、今回はいよいよ最後となるインタビューです。

インタビューは、かつては全日本プロランキング1位という経歴を持ち、現在はすでに全戦サーキット出場はしていないものの、毎年このJAPAN CUPと大分で開催される住吉浜カップには必ず出場している、日本を代表するプロウインドサーファーである小玉欣一選手にインタビューしました。

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まず、小玉選手は、なぜこの2戦にしか出場しないのか、ということについて聞いてみました。

それは、まずこの2つの大会ともに3日間開催なので、大会が成立する確率が高い、ということが第一の理由とのことです。ウインドサーフィンの大会は、当たり前のことですが、風が吹かないと大会としては成立させることが難しく、ましてや週末の2日間だけの開催だと、どちらも風が吹かなければ大会ができず、せっかくエントリーしても、その成果を出し切ることができないからです。今まで、2日間ともに風が吹かず、成立できなかった大会は多くあります。それだけに、大会を開催する上では、できるだけ風が吹く可能性の高い時期を選んだり、場所を選定したりすることが最も重要です。また、小玉選手の場合には、サーキットを回っているわけではないので、年間のポイントを稼ぐ、というよりも、その大会における成績を重視しているために、できるだけ成立する大会を選ぶ必要があるからです。

あとは、やはり小玉選手は、現在、神奈川県の葉山にある森戸海岸にて、ウインドサーフィンショップ「葉山サーフクラブ」を経営しており、ウインドサーフィンのスクールやレンタル業などを営んでいる関係で、こうしたオフシーズンである1月~3月に行われる大会しか出場することができないからです。

年間通してもこの2大会にしか出場していない小玉選手ですが、どちらも好成績を残しているのはやはり過去のプロランキング1位だった、そして海外での経験も持つ、という経歴を持つからだと思われます。しかもこのJAPAN CUPにおいては、昨年は総合6位、今年は総合5位という成績を残し、各レースのファイナルには必ず残り、まだまだ若い選手たちには負けず、そのエネルギーがみなぎった中で自分の走りを見事に結果として残しています。

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次に今年のJAPAN CUPについて聞いてみました。

まず、今年の総合5位という成績について、どう思っているか聞いてみましたが、総合5位でも悔いが残るレースをしてしまったと語っていました。それは、まず第1レースでは、予選ラウンドを3位、そしてセミファイナルでは4位で通過してファイナルへ進みましたが、ファイナルでは9位。また、第2レースでは、予選ラウンドを2位、セミファイナルでは3位で通過してファイナルへ進み、ファイナルでは5位という成績を残しています。どちらもライトウインドという中でのレース展開となったのですが、風が弱いことと、小浜島特有の潮の流れが速かったこと、さらには特にファイナルでは、トップ選手たちが顔を揃えた中でのスタートだったのでそれだけシビアになり、スタートを失敗するとなかなか途中で抜き返すことが難しいこと、そして昨年よりもコースレイアウトが難しく、スタート後の走りについても、ほんの少しのミスが命取りになってしまう、という点で、自分の走りを出し切るのがやはり難しかったと語っていました。

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(第1レースセミファイナル)

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(第2レース予選ラウンド)

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(第2レースセミファイナル)

 

また、第3レースについては、風がかなり強く、スタートはしやすかったものの、セイルチョイスをファイナルでミスしてしまったので、やはり納得のいく結果を出すことができなかったと言っていました。

セイルチョイスをミスして理由については、セミファイナルまでは5.8㎡で走り、予選ラウンドではトップで通過、そしてセミファイナルでも4位で通過できていたので、そのセットアップが自分ではうまくいっていたので、ファイナルでも同じセイルを使ってしまったのですが、実は、第3レースでは、スタートしてから第1マークに向かうコースなどで、通常よりも下側にかなり落として走っていくコースレイアウトとなっていたので、セイルパワーがないとなかなかスピードが出せず、それだけ周りの選手から遅れをとってしまうので、もっとパワーのある大きめの7.0㎡のセイルを使うべきだったと反省していたようです。今までの5.8㎡のセイルとボードとのセッティングが、あまりにも自分では納得のいくセッティングであったために、ファイナルでもそのセッティングで出てしまったことが悔やまれていたようです。もっと勝負に出るべきだったと、現役時代の小玉選手を見ているようでした。結果ファイナルでは、小玉選手のところでは途中で風が急に無くなってしまうという事態が起こり、最後までスピードに乗った走りをすることができず、DNFで終えています。

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(第3レース予選ラウンドで、このあとトップでセミファイナルへ)

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(第3レースセミファイナル)

 

今回のレースでは、実は表彰台を狙っていたようなので、その悔しさは小さくはなかったようです。第3レースのセミファイナルまでは、良い走りをしていただけに、その悔しさは、ひとしおだったことでしょう。

たしかに、小玉選手は、大会中でも必ず誰よりも早く海に出て、その日の風や海面の状況、そしてコースレイアウトなどをじっくりと確認して、長い時間をとって最終調整を行っていたことを覚えています。また、走っては戻ってきてセッティングを調整して再度走り、また戻ってきては調整して、ということを何度も繰り返していたように見えました。最後の最後までわずかな時間でも、現地での最終調整を納得のいくまでしていた様子が今でも脳裏に残っています。

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小玉選手に聞くと、シーズン中は、自分のスクールやショップなどの関係でなかなかレースに対する準備ができない中で、3か月前あたりから本格的に準備に入っているそうです。それは、ボードやセイル、フィンなどのセッティングを細かく確認しながら調整していき、自分の納得のいく走りやスピードが出るようになるまで、何度も繰り返しながら行うようです。でも、それはいつでも同じコンディションの中でできるものでもなく、また、限られた時間の中でそれらを総合的に行わなければならないので、正確に、かつ迅速に少しずつでも前に進めていかないと、レースまでには間に合わないということになってしまいます。小玉選手の場合には、サーキットを現役で回っていた頃の経験や、道具に対する知識などがそれを可能にしていると言えます。

 

やはり、一番重要なことは、”道具を理解しておく”ということだと言っていました。つまり、いくら新しい道具を使ったとしても、その道具のことをよく理解して、自分の道具として使いこなせていけないと本来の道具の性能を引く出すことはできず、また、納得のいくスピードを出すこともできないとのことです。自分のボードやセイル、そしてフィンまでのことを理解して、何度も調整して、それを確認しながら修正して、頭で考えながら課題を見つけつつ、さらにそれを試しては修正して、調整して、確認しながら走りを追及していく、ということのようです。

 

次に重要なのは、やはり自分の体の準備だそうです。常にトレーニングをしてレースには備えているということですが、レース前にはやはりレースで走れるようになる体にしていくとのことです。それは、常に乗り込む、ということも同時に行い、自分の体が走っているときにどのような動きをしているかなど、細かくチェックしていくようです。

 

少しだけ、ということでどうなれば速く走れるのか、ということについて聞いてみましたが、それは走っているときに、自分の頭ができるだけ動かないようにする、ということのようです。つまり、頭が動いているということは、体が動いてブレている、ということで、それはボードへのプレッシャーを正確に伝えることができず、その結果安定した走りをすることができず、ボードが動いてしまって速く走らせることができず、スピードも速く出せない、ということです。つまり、頭を動かないようにして、体も安定してブレず、ボードへのプレッシャーがそのままストレートにかけて走れるようになれば、それが一番速く、そしてスピードも上げて走ることができる、ということです。

また、それは走っているときのフォームが重要と同時に、道具のセッティングもそれに合わせて微調整していく、ということをしなければならないようです。安定して速く走れるようになるセッティングを探していく、という過程がとても重要だと言っていました。

それは、誰かと一緒に走りながら、ということもときには重要ですが、やはり一人でもそのセッティングを探して、自分の出せるスピードの限界をさらに伸ばしていく、ということのようです。実際に小玉選手は、今回のレース前には、たったの2回しか速いトップ選手と一緒に走ったことはない、と言っていました。

これだけのことをたったの3か月間の中でできるのは、相当な集中力と経験、そして道具の知識がないとできないことだと思いますが、小玉選手だからこそこれができる、ということも言えるのでしょう。

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小玉選手は、サーキットを回っているトップ選手と違い、現在は、自分で全て道具を買って揃えて、レースに向けてトレーニングを積み重ね、そして限られた時間の中で結果を出していかなければならないので、全戦サーキットを回っていたころと比べると、大変な部分もありますが、それでも今はとても充実していて、むしろ楽しくてしょうがない、と語っていました。

レースで使える道具はボード2本とセイルが4枚しかなく、現役の選手たちと比べるとそれは不十分な道具かもしれません。でも、それでも、自分で道具を理解して、レースに向けてボードやセイル、フィンなどのセッティングを着実に積み重ね、それによって自分のスピードを上げていき、自分の納得のいく走りができるようにしてレースに臨み、そしてそのレースではその結果が成績として現れる、ということに対して、とても喜びを感じているようです。また、その過程をとても楽しいと言っていました。

 

これからもレースには出たいし、その過程を楽しんでいきたいそうです。また、自分自身が楽しむと同時に、その楽しさをもっと若い選手たちにも伝えていきたいと言っていました。

単にトレーニングをして結果を出す、ということも大事なのですが、道具の理解やセッティングの重要さ、レースまでの準備内容等、結果を出すための過程を楽しみ、楽しむことによってまた良い結果を出せるようにしてあげたいと言っていました。それは、自分がサーキットを回り、世界を経験してきた経験があるからこそ言えることだと思いますが、現役で全力で選手として活動できる時間は決して長いものではないので、できるだけ頑張っている若い選手たちに、やっている分だけ結果が出せるようにしてあげたいし、その目標に向かって応援して、できることは協力していきたいと語っていました。

 

小玉選手の走りを見ていると、まだまだこれからももっと速くなってレースでは活躍できそうな走りをいつでも見せてくれていますが、これからもそうした姿を通して、若い選手たちの刺激となり、レース界、そしてウインドサーフィン界を盛り上げてくれることを期待したいと思います。

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文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY


TOYOTA JAPAN CUP 2016 インタビュー番外編(国枝信哉)

2016.03.06

今年の1月15日(金)~17日(日)にかけて沖縄県八重山郡竹富町小浜島リゾナーレ小浜島にて開催された、JWA JAPAN TOUR 2015-16 SLALOM 第4戦の『TOYOTA JAPAN CUP 2016』のインタビュー番外編として、国枝信哉選手にインタビューしました。

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国枝選手は、今回のTOYOTA JAPAN CUP 2016では総合7位という成績で終えていていますが、一時は今大会で総合1位で優勝した浅野則夫選手の前を走り、トップフィニッシュしていることもあるので、そのときのことも含めて聞いてみました。

 

国枝選手は、前回の山田昭彦選手とともに日本を代表するトップレーサーであり、常に上位へ食い込んでくるプロウインドサーファーの一人でもあります。また、普段は、山田選手と一緒に「TEARS」を営み、三浦レーサーズクラブを盛り上げつつ、若手の育成にも力を注いでいます。

 

今回のTOYOTA JAPAN CUP 2016では、第1レース、第2レースが行われた12~14ノットというライトウインドでは、彼にとってはとても得意で好きな風域ということもあり、予選ラウンドから強気でいっていたようです。

まず、予選ラウンドでは、スタートが良かった鈴木選手に続いて2位でフィニッシュしてセミファイナルへ。

そして、次のセミファイナルでは、あの浅野選手の前を走り、なんとトップフィニッシュ。そのときのことについて聞いてみました。

まず、ライトウインドということで、スタートで失敗すると途中で抜くことがかなり困難であることと、途中逆向きに流れる潮の流れにも注意してマーキングしなげればならないことなどを頭に置いてスタートを切ったところ、かなり良いスタートを切ることができたそうです。

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(第1レースセミファイナルのスタート直後)

 

また、スタートを切ると下側には浅野選手がいたのですが、良い形で抑えることができ、まずは第1マークをトップで回航。その後、浅野選手が後ろから迫ってくるものの、第2マークや第3マークで浅野選手がマーキングで失敗していることもあって、その差を開くことができ、そのまま良い走りのままトップでフィニッシュ。

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(第1レースセミファイナル)

 

ファイナルでは、このときのイメージを抱いたまま、勝つイメージで臨んだそうです。

いざ、ファイナルが始まると、スタートでは浅野選手、中井選手などとともにかなり良いスタートを切ることができ、ここまではイメージ通り。そして、第1マークでも浅野選手、中井選手に続いて3位で回ることができ、このままいけば、どこかで前を走る二人を抜くこともできる可能性もあるので、そのタイミングを密かにはかっていたようです。

第2マークを回るころには前を走る二人に追いつき、この調子で第3マークへスピードに乗って走っていきました。第3マークまで良い調子で走って、このままいけば抜けるかも、と思いながらマーキングしたときに、前を走る二人を意識しすぎたこともあり、力が入り過ぎてなんと沈。結果7位でフィニッシュ。セミファイナルで良い結果を導いて、良いイメージがあっただけにとても残念な結果となってしまいました。

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(第1レースファイナル)

 

第2レースでも、予選ラウンドは3位でセミファイナルへ進みつつも、セミファイナルでは、前を行く選手を抜く際に、インを突きすぎて潮の流れの影響を受けてスピードを落としてしまい、うまくマーキングすることもできず、結果9位でファイナルへ進むことができませんでした。

 

第3レースでは、風が強く、雨も時折激しく降るハードなコンディションではありましたが、とても調子良く走れるセイルである6.3㎡を選んでレースに臨むことができたので、彼にとってはこのレースでも力を出し切ることを胸に誓っていました。

予選ラウンドでは、順調は走りで、3位でフィニッシュしてセミファイナルへ。

そして、セミファイナルでは、良いスタートが切れて、第1マークでは合志選手、小玉選手に続いて3位で回航し、小玉選手がマーキングで沈をしている間に2位へ上がり、第2マークから第3マークへ行く間には前を行く合志選手を抜いてトップに躍り出るものの、後ろから、何と浅野選手がスタートでは失敗していたものの猛スピードで追いあげてきて第3マークの直前で抜かれてしまっていました。このとき、もう少し攻めていれば良かったかも、と語っていましたが、そのときには後ろから浅野選手に抜かれても、セミファイナルだし、本番のファイナルで攻めていければ、と思って安全策であまり攻めることはしなかったようです。その結果2位でセミファイナルを終えて、そしていよいよ本番のファイナルへ。

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(第3レースセミファイナル)

 

ファイナルでは、常に勝つイメージを持っていた国枝選手ですが、スタートで少し出遅れてしまい、第1マークを回るころには前に5~6人程度いました。でも、第2マークから第3マークへ行く間に猛チャージを見せつけ、なんと前を行く4~5人を抜いて3位まで上がり、浅野選手、山田選手に続いてなんと3位でフィニッシュ。第2レースで自分の走りができたなかったことがとても悔やまれます。もし、それがなければ、もっと上位に食い込めていたことでしょう。

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(第3レースファイナル)

 

そうとは言っても、第1レースや第3レースにおいて、冷静沈着なレース中での判断や、海の状況を的確に読み取り、それをすぐ目の前のレースに活かして、上位を狙うことができるというのはとても強い武器になっていると思われます。

 

これからも、まだまだレースには出続けて、日本のトップになるだけの経験と実力はすでに持っていると思いますので、これからのレース展開がとても期待されます。

また、若手の育成という面でもとても力を注いでいますので、彼の背中を見ながら、若い選手が三浦海岸から出てくることを期待したいと思います。

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文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY


TOYOTA JAPAN CUP 2016 インタビュー第3弾(山田昭彦)

2016.02.25

今年の1月15日(金)~17日(日)にかけて沖縄県八重山郡竹富町小浜島リゾナーレ小浜島にて開催された、JWA JAPAN TOUR 2015-16 SLALOM 第4戦の『TOYOTA JAPAN CUP 2016』のインタビュー第3弾として、プロメンズクラスで総合2位となった山田昭彦選手にインタビューしてみましたので、その内容をご紹介いたします。

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山田選手はご存じのとおり、神奈川県三浦海岸にある「TEARS」というウインドサーフィンショップを営み、レーサーをはじめ多くのウインドサーファーから兄貴的な存在として支持を得ているとともに、プロの選手としても現役で長年活躍してきているベテランのプロウインドサーファーの一人です。山田選手は、常にどのレースにおいても上位に入るトップ選手であり、このTOYOTA JAPAN CUPでも、昨年は総合3位で終えていて、それまでも、2003年~2005年においてはスラロームランキング総合1位で、それ以降もトップ3に入る日本を代表するプロウインドサーファーです。

 

今回、山田選手は、3日前にレースの舞台となる小浜島にチーム仲間とともに入り、小浜島の冬特有の強い北~北東風の中でのトレーニングに励んでいました。レース直前までもそうした風の中で最終調整を行い、万全な体制で小浜島入りをしていました。

ただし、いざレースが始まってみると、初日は風不足によりノーレースで、2日目にしてやっと北東~北寄りの風が吹いてきて、12~14ノットの中で2レース行うことができました。

 

まず、第1レースの予選ラウンドでは、8.6㎡のセイルと124Lのボードで危なげない走りでトップフィニッシュを飾ってセミファイナルへ進んでいます。

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(第1レース予選ラウンド)

 

セミファイナルでも、風が弱い中での非常にシビアなスタートと、第1マークと第3マークとでは風が弱く、強く逆に流れる潮の影響でマークのインサイドを突いてなかなか攻めることができなかったこともありますが、何とか4位でファイナルへ進んでいます。

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(第1レースセミファイナル)

 

また、ファイナルでも、スタートの良かった浅野選手や浅野選手に続いてスタートから良い走りを見せていた中井選手に続いて山田選手も3位で終えています。

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(第1レースファイナル)

 

こうしたライトウインドのレースは、スタートがとても重要で、そこで失敗するとなかなか挽回するのも難しく、また、レース中に駆け引きもなかなかできない中でのレースとなってしまうので、あまり好きではありません、と語っていた山田選手ですが、自分の走りを忠実に守りきり、成績として最後に残しているところは、今までの経験と山田選手自身が作り上げてきた自分のスタイルにこだわりを持ち、それを突き通して最後まで自分の走りを崩さなかったところは、さずが山田選手と言わざるを得ないと思います。

 

第2レースになると、多少風は上がってきていましたが、ライトウインドの中でのレースとなり、山田選手はやはり同じ8.6㎡のセイルを使ってレースに臨みました。

予選ラウンドでは、リコールぎりぎりを狙った絶妙なスタートを切った鈴木選手に続いて山田選手が2位でフィニッシュ。このときも、リコールすることのリスクを避けたのか、スタートにおいてもあまり攻めなかったと言っていましたが、鈴木選手のすぐ後ろには山田選手が走っていて、ちゃんと2位で終えるあたり、一発勝負に出るわけではなく、着実に成績を残していくことへのこだわりなのか、今まで培ってきた経験からくるものなのでしょう。

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(第2レース予選ラウンド)

 

次のセミファイナルでも、スタートを攻めなかったことから少し出遅れてしまったようですが、トップをとるよりもファイナルへ進むことに重要視していたこともあるようで、5位でファイナルへ進んでいます。

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(第2レースセミファイナル)

 

ファイナルでは、それまでの走りとは違い、スタートから勝負に出て、スタートしてからも後続の選手を抑えながら前を狙って走り切り、惜しくも浅野選手の後ろにはなってしまいましたが、浅野選手に続いて2位でフィニッシュしています。

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(第2レースファイナル)

 

これまでの山田選手の走りを見ていると、本人はリコールを避けるためにスタートではあまり攻めなかった、もしくはライトウインドだとあまり駆け引きできないので好きではない、などということを語っていましたが、ファイナルまでは着実に進んで、本番となるファイナルでは絶妙なスタートを切っていたように見えましたし、レースの中でも、マーキングなど、潮の影響などを考慮に入れて、マークとの距離感をちゃんとつかみながら、確実な走りをしながら前を走り切り、上位へ食い込んでいくあたり、ベテラン選手ならではの経験と、海の状況を最終調整の時にちゃんと頭に入れながらの走りをしているので、計算通りに試合運びをしているように見えました。それだけに、あまり大きな失敗もなく、最終的には荒れた成績にはならない要素がある理由だと確信しました。

 

最終日に行われた第3レースでは、それまでとは風向きも風速も変わり、南寄りの20ノット以上の風と時折降る激しい雨の中での非常にハードなコンディションでのレースとなりました。

そうした中で、山田選手は6.3㎡のセイルを張って海に出て、まず予選ラウンドでは、スタートからトップスピードに乗ってほかの選手とは全く違うスピードに乗ってトップフィニッシュでセミファイナルへ。

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(第3レース予選ラウンド)

 

次のセミファイナルでも鈴木選手、酒井選手に続いて3位でフィニッシュ。

 

そして、いよいよファイナルでは、いつものように本番レースと捉えて、それまでの走りとは違って気合いの入った走りでスピードに乗り、浅野選手に続いて2位でフィニッシュしています。

最後のファイナルでは、7.0㎡にすれば良かったかもと語っていましたが、それまでの突然吹き荒れる風の状況などを考慮して、そのまま予選までと同じ6.3㎡でファイナルを走ったようですが、確実性を重視した山田選手らしい選択だと思います。

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(第3レースファイナル)

 

今回の全3レースを終えて、総合で2位という輝かしい成績を獲得した山田選手ですが、やはり風が強いときの方が好きという山田選手は、最後の第3レースでは、とても山田選手らしいスピードに乗った速い山田選手を見ることができ、とてもイキイキとしていたように見えました。でも、自分らしい走りをするために、風が吹いても吹かなくても、確実に成績を残し、勝負にこだわっている山田選手に変わりはなく、それが山田選手のスタイルだという感じがしています。

 

これからもまだまだレースにはこだわり、現役でいつまでも走り続けていくと言っていましたが、年々その経験と実績とがうまく自分のものとなり、自分のスタイルで走り続けて行くことにより、さらに速くなって、若い選手たちの良い刺激になっていくことだろうと思います。

これからも良いレースを見せていただき、若い選手の育成とともに、レース界全体を引っ張っていって欲しいと思います。

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文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY


TOYOTA JAPAN CUP 2016インタビュー第2弾(浅野則夫)

2016.02.11

今年の1月15日(金)~17日(日)にかけて沖縄県八重山郡竹富町小浜島リゾナーレ小浜島にて開催された、JWA JAPAN TOUR 2015-16 SLALOM 第4戦の『TOYOTA JAPAN CUP 2016』のインタビュー第2弾として、今回は、本大会のプロメンズクラス優勝者であり、スラローム界では10年以上にもわたって不動の王者として君臨している浅野則夫選手にインタビューしてみました。

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まず、12~14ノットのライトウインドの中で行われた第1レースにおいて、予選ラウンドでは危なげなくトップフィニッシュで通過して、セミファイナルへ進んだものの、そのセミファイナルでは国枝選手にトップを奪われときのことについて聞いてみました。

この日のレースではスタートがかなり重要で、そこで失敗をすると抜ける場所があまりなく、また、前に選手に行かれると、かなり厄介なことになるので、スタートは全神経を集中させてレースに臨んだのですが、セミファイナルでは、フルスピードでスタートラインを切ろうとして走っていたものの出遅れてしまい、実はスタートを失敗していたようです。

スタートを切ると、風下側から中井選手がかなり良いスタートをしていて前に行かれてしまい、これはマズイと思って抜きにかかったところ、今度は風上側からも良いスタートを切った国枝選手にも来られてしまい、風下側と風上側との選手に挟まれて、スピードを思うように出せない状況となっていたようです。

その後、何とか中井選手を抜いて、前を走る国枝選手も抜こうと思って、第1マークでインを突いたら、逆向きに流れる潮の流れがかなり強く、ジャイブで失速しながらブイマークにもぶつかり、そこでもスピードを失速。第2マークまで何とか国枝選手に食らいつくものの国枝選手も良い走りをしていたのでなかなか抜けず、第3マークでもインを突いて抜こうとしたが、そこでもジャイブで失速、さらにはここでもマークにぶつかり、スピードに乗らないまま最後まで国枝選手との差を縮めることができず、そのまま2位でフィニッシュとなってしまったようです。次のファイナルでは、そのときの反省を踏まえての走りをしなければと、すぐに修正に入ったようです。

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(第1レースセミファイナル)

 

第1レースのファイナルでは、セミファイナルでの反省を踏まえ、まずはスタートに集中することと、マークでのジャイブでも、あまりインを突くことをしないで、逆に大回りをするようにしてスピードを落とさないようにと注意深く走り、いつものスピードに乗った走りをこころがけたようです。

その結果、見事にトップフィニッシュしてゴール。まずは第1レースを制したのでした。ただし、このファイナルレースでも、中井選手がかなり良いスタートをしていて、浅野選手を後ろから常にプレッシャーをかけていたようで、最後まで気が抜けないレースとなっていたようです。

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(第1レースファイナル)

 

そして、第2レースでも、少し風が上がってきたこともあり、スピードをさらに上げて予選ラウンド、セミファイナル、そしてファイナルと順調に進んで、見事にこのレースでもトップフィニッシュで終えています。 _AHP8292

(第2レースセミファイナル)

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(第2レースファイナル)

 

最終日では、風が南寄りに変わりつつ、20~25ノット、もしくはそれ以上の強風レースとなったのですが、そこでも浅野選手にはドラマが待っていました。

予選ラウンドでは危なげなくトップフィニッシュをして、セミファイナルへ進んだのですが、そのセミファイナルでは、スタートを失敗していたようです。

この日のレースでは、かなり風が強いことと南寄りの風に変わっていたので、ビーチでスタンバイして、そこからスタートラインへ向かって走り出し、うまくスタートに合わせてスピードに乗らせてトップスピードでスタートを切らなければならない、非常にシビアで難しいスタートとなっていました。

浅野選手もそれはわかっていたものの、セミファイナルでは、風下側からのスタートとなってしまい、少しでも早めに走り出さないと、風上側の選手のブランケットになってしまってなかなかスピードに乗らせることができないという状況になっていたようで、案の定、風上側から走り出す選手のブランケットになってしまって、結局ほぼビリからの走りだしとなってしまい、第1マークを回るときにはなんとまさかの5位でのマーク回航となってしまっていました。

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ただし、ここでも浅野選手はあきらめることはなく、第2マークから第3マークへ行く頃にはスタートの失敗を取り戻すかのようにスピードをグングンと上げて前の4人を抜いてトップとなり、そのままフィニッシュしてファイナルへ進んでいます。

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第3レースのファイナルでは、セミファイナルでのスタートの失敗から反省した点をすぐに修正して、絶好のスタートを切り、そのままトップを走り続けて、見事にトップフィニッシュしています。

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今回のレースを通じて、まず小浜島のコンディションは風とともに潮の流れを正確に読まなければならないことがあり、それも、上げ潮と下げ潮のときとでは流れが全く逆になってしまうので、それを頭に入れながら走らないと、スタートでもジャイブでも、特にライトウインドのときにはわずかな失敗が命取りとなってしまうので、それがとても重要だと話していました。

ただし、このスラローム競技において、そうしたスタートやジャイブなど、細かいレース展開の中でのテクニック的なことも重要なのですが、むしろもっと重要なのは「スピード」であり、どうやったらもっと速く走らせられるか、という基本的なことでありながらも、これが最も重要だとも言っていました。

トレーニングをする際にも、もちろん誰かと一緒に走ることも重要ですが、そうしたトレーニングをする中で、毎回自分で課題をつくって、それに対するトレーニングをすることと、もっと速く走るためにはどうしたら良いか、ということのトライ&エラーみたいなことを考えながら繰り返していくことがとても重要だと話していました。

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ここ10年以上チャンピオンである浅野選手に、なぜそんなに速いのか?ということについて聞いてみたのですが、速さの秘訣は、以前はなんでかということがあまりわからなかった時期もあったのですが、最近、特にここ数年においては、ボードをリフトさせて走らせることに重点を置きながら、どうしたらリフトさせて速く走らせることができるのか、また、毎回毎回課題に対するトレーニングを重ねていると、毎回新しい発見があり、その発見からまた新たな課題が出てきて、それに対する走らせ方をトライしつつ、また新たな発見が見つかるので、走っていて楽しくでしょうがないようです。

また、さらに速くなっているのが実感としてわかるので、速さに関しては、今が今までで一番アドバンテージがあるし、まだまだ可能性が見えてきていて、スピードがさらに伸びていくのではないか、ということを感じているようです。それだけにレースでは負ける気はまだ絶対にしないし、その速さをもっと日本だけではなく、海外でも試してみたい、と熱く語っていました。

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ウインドサーフィンにはいろいろな種目があり、波乗りやジャンプを競うウェイブや、トリッキーな動きを見せるフリースタイルなどは、今や若い選手たちがどんどんと出てきていて、その選手たちも育ってきているのが目に見えてきています。こうしたウェイブやフリースタイルは、練習すればするほどうまくなっていく競技であり、ある意味若いときのエネルギーや体力的なことも必要な競技ですが、スラロームは、練習することも重要ですが、体力はもちろんですが、合せてむしろ道具に対する考え方や、速く走るための課題をどうやって見つけていくことができるかがとても重要で、そのためにはいろいろな経験も必要だし、道具に対する知識や考え方も必要なので、なかなか経験の浅い若い選手は出てきづらいというのもあるかもしれません。でも、常に考えながら走る、ということが必要なので、それができれば逆に歳をとっていても、いつまでも速く走り続けることができる競技だとも言っていました。

ただし、海外では、日本に比べると若くて速い選手が多く出てきているのは事実で、どうしてなのだろうと思うのですが、やはり周りの環境や若手の教育システムの充実などが理由になってきてしまうのでしょうか。

日本でも浅野選手をはじめとした速い選手は多くいるわけで、そうした選手たちの背中を見ながら、若い選手たちがもっともっと多く出てきてほしいと願うばかりです。

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ちなみに、浅野選手は、常に新しい発見や課題が見つかるので、今が一番スラロームに関しては面白いし、楽しいので、まだまだこれからも走り続け、スピードにこだわりながら、これからもトップであり続けたいと言っていました。

これがもしかすると、速くなる秘訣なのかもしれません。

浅野選手は、トップ選手の中でも一人抜きに出ている選手であり、日本はもちろん、海外でも活躍できるだけの実力は持っていると思いますので、まだまだこれからの活躍に期待したいと思います。

今年は、強風でのワールドカップ開催地での参加や、南アフリカのスピードの試合にも出たいと言っていました。

これからのご活躍を応援しつつ、彼の背中を見ながら、まだまだスラロームの可能性を探り、一人でも多くの選手がスラロームをはじめとしたウインドサーフィンの楽しさを知ってもらえればと思っています。

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文:OCEANS MAGAZINE

写真:HARRY

 

※TOYOTA JAPAN CUP 2016の全レースレポート、および全動画については以下をご覧ください。

http://oceansmagazine.net/feature/4946

※インタビュー第1弾(須長由季)

http://oceansmagazine.net/feature/5204


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