岡崎友子info
1月16日 篤くんのピアヒ!/Tomoko Okazaki
2016.01.19
新しい歴史が作られた!と昨日の興奮冷めやらずのマウイ。でも実は今日も朝はほとんど変わらないサイズがブレイクしてる。まだ私にはアウターリーフに出て行くことすら無理。そんなときオアフの篤くんから電話があった。これからマウイに向かおうと思うという。私もそれはgood call( いい判断)だと思うと伝えた。昨日みたいな緊迫したぎりぎりの状況で1日乗って今日も同じことができるサーファーなんてそういない。でもサイズは十分ある。前回も翌日同じような波が割れていても乗ってる人は80人から30人に減ったのだから今回も昨日30人だったから今日は10人くらいでガラガラだろう。
彼はそのまま飛行場に向かい、10時半にはもうマウイに着き、12時にはピアヒの丘で波を見ていた。クリーンで30人ほど入っていたが、朝から入っていたメンバーがどんどん上がってきていた。サイズは十分。風は無風、天気快晴。
昨日はクローズアウトに近いワイメアでラインナップには10人くらいしかいないクラシックなセッションを 経験というあつしくん、ジョンジョンやケリーもいたらしいけど、今日は彼らもこっちに来ている。多分昨日の凄い写真を見てみんなこっちに移動したんだろう な。昨日ワイメアで板を折ってしまったらしく、かなり短めではあるけれど8’10のボードで向かう。
ちょうど出ようというときにすでにセッションを終えてかえろうとしていたシェインが軽く挨拶して車で通り過ぎた。今日もすごい波に乗っていたんだろうな。
インフレータブルベストをつけている人がほとんどだが、彼はパタゴニアのフローティングベスト、そりゃあインフレータブルが欲しいけどあれはコネがないとなかなか手に入らない、変えるものではないからだ。でもこれでも劇的に違うという。
彼がアウトに出ていくところを写真に撮ろうと私も降りていったが、ある意味いかなければ良かったと後悔した。あつしくんの判断を信頼しているとはいえ、あまりにすごい様子に心配になってしまったのだ。岩に叩きつけているすごいショアブレイクで、アウトに出たいにもかかわらず随分長い間何人かのサーファーたちが立ち尽くしてる、何人かはすでにボードを壊して諦めを余儀なくされていたらしい。ビッグウエイブではかなり有名なアンソニー・タスニックも来て出ようとしたらしいが結局出れずに諦めて帰ったそうだ。普段はみんな左側から出るのにたくさんの人が右側にいた。それでもあつしくんは彼なりに考えがあるのだろう、じーっと左側で海を眺めていた。
彼がじっと観察している20分ほどの間、途中かなり沖のスープでジェットがスープでひっくり返り、動かなくなり流れてきた。流れに乗ってぎりぎりショアブレイクに近づいてきて、あとほんのちょっとで6ftくらいの岩にぶち当たるショアブレイクが割れるところに来るというギリギリのところでなんとか4台くらいのジェットが必死に引っ張って沖に持って行った。恐ろしい光景だった。どんなに待っても出ていけそうな隙間はないように見えた。どんなに上手くて冷静なあつしくんでも怪我する可能性はある、「やっぱり今日は出るのやめます」って言ってくれたら私は実は気が楽になるだろうな、と心の片隅ではそんなことまで考えていた。
でもあつしくんはみんなが感動するほどすんなりと出て行った。とりあえず第一関門突破、これだけでもたいしたものだ。
その後は丘の上からカメラマンのトレーシー、そしてビッグウエイブではレディーストップの一人だと思うペイジと3人で見ていた。久しぶりに会うのでいろんな話をしながらも誰かが波に乗れば撮影。サイズダウンしたので(ダウンしたと言っても十分大きいのだが)今までトライしたことのないジョーズの隣のポイントのスラブみたいなレフトの波にローカルボーイズが挑戦していた。ジョーズがまだまだ綺麗に割れてるのに何もあんな怖そうな波に乗ろうとすることないじゃないかと私は思うのだが、感覚が全く違うんだろうな。遠かったのでよくは見えないが見ているだけで恐ろしかった。
(以前は雪山でよくあったり、一緒にいい花月もバハの砂漠でキャンプしたりしていた友人のクラーク、今年からレッドブルのアクションスポーツムービー全般をマネージする仕事に関わるようになり、マウイにも頻繁に来るようになった。車のバッテリーが上がってしまい、ジャンパーケーブルを探し周ってなんとか復活「なんだかバハの珍道中を思い出すね」と大笑い)
あつしくんと入れ違いくらいでオアフからジョンジョンとその仲間たちがあがってきた。そして夕方はキングケリーの登場。
(ケリースレーター)
篤くんはガラガラのピアヒ5、6人の中ケリーと一緒にセッション。こんな経験はあまりできないだろう(でも前日は10人クラのガラガラでクラシックなワイメアをケリーとジョンジョンも一緒にやっていたらしい)
これだけ空いてると人をあまり気にせず乗れる、とはいえ気軽に乗れるような波ではない。レディースのケアラケネリー、ビアンカもあつしくんより前から海に出ていていい波を呪うと頑張っていた。ケアらはかなり大きな波に乗り最後に巻かれた時にいたが真っ二つに折れていた。
あつしくんはおそらくラインナップにいた誰よりも短いボードに乗っていただろう。昨日のワイメアで長めの方は折ってしまったらしい。それでもボコッと惚れがるリップで果敢にテイクオフしていた。
サイズダウンして人が少なくなったためカメラマンがほとんどいなくなってしまったから、後半の波は写真に残せないなあと申し訳なく思いながら眺めていたが。4時過ぎに入りたいと言っていたチューブにドカンと入り込み、私の目にはもうちょっとで出てくるんじゃないかというように見えた。パワフルな波のいいライドだった。
その波のあと戻って来る気配がしたので急いでまた崖の下に向かった。何しろ行きより、沖の波より、この変えてくる時が一番強い、のだ。
(スープの中にいたに乗ってビーチに向かって突っ込んで上がろうとしているあつしくん、見えるだろうか、どれだけ大きなスープかがわかるはず)
案の定ものすごいスープとものすごい流れの中ごまみたいに小さなあつしくんともう一人のサーファーがパドルしてきている・何度かタイミングを見て。家くらいあるスープが巻き上がっても後ろを向くことはせずにその爆発とともに岩岩のビーチに乗り上げあがってきた。思わず手を上げて歓声を上げてしまった。もう一人の人は躊躇してしまい、その後も波が来るたびに板を捨ててもぐったりしていて20分くらい同じところで引きずられたり巻かれたりしていた。
ライディングももちろんだけれど、怪我をしないで帰ってくることが一番のミッション、それだけで上出来なのがピアヒのサーフィン。
その後たかさんのところに挨拶に行き、もうたかさんが大事に取っておいてくれたジョーズ用のリーシュをありがたくいただき、(なんとあつしくんのリーシュは出る前にチェックしたら一カ所切れ目が入っていた、そしてバックアップとして持ってきていたビッグウエイブ用のリーシュは巻かれた時と鉄のなく伸びてダメだった、と言っていた)
夕食食べてたらカイのサポートクルー、トムサーヴェイやブライアンビールマンなど巨匠カメラマンたちもいて、声をかけてくれ、篤くんのことも「写真撮ったよーすごい掘れたところでテイクオフしてたなー」とか、2年前に彼が初めてピアヒで乗ったっときの写真のことやらいろいろ覚えていてくれた。
波に乗れたことも嬉しいだろうけどこういう風に見てくれてる人たちがいたり、応援してくれたりすることに触れるのも嬉しい、横で見ている私も嬉しかった
誰が一番いい波に乗ったか、それは実はそこまで大事な部分ではなく、その人がここにたどり着いてその波を乗るまでにどれだけの思いをその波に向けてぶつけてきたか、どれだけ犠牲を払い、それのために努力してきたか、そんなドラマがこういう日には語らずして感じられるのだ。そしていろんな面でここにきて波に乗り環境と自分の体調など全てを整えてきた選ばれたサーファーたちがそのご褒美をもらいにパドルアウトしていく。そして究極の、一生忘れられない宝物をもらう。乗れない私などはそれがどんなに素晴らしい経験が想像の世界で思い浮かべることしかできないが。それでも彼らのどっかの雨天突き抜けてしまったような目の輝きと笑顔を見ることで少しだけ分けてもらえるきがする。そして人間が太刀打ちできないようなあの波に乗っていく彼らが見せてくれる人間の可能性の大きさに感動させてもらえる。人生は素晴らしい、そして思いが強ければ、努力を情熱をもってすればどんなことも不可能ではない、志あれば道はおのづから見えてくる、そんなポジティブな気持ちにさせてもらえる。
プロのカメラマンがあつしくんのライディングショットも撮ってくれてはいるが、それはまだ勝手にここで出すことはできない。そして、願わくば雑誌、メディアが使ってくれて、そのカメラマンもこの場にいてあつしくんの写真を撮ったことへのメリットがあればと願っている。
私も本来なら雑誌でこういう記事を書かせてもらえるならこんなに長ったらしいブログを書くことはないだろう。その分雑誌の記事にしたい気持ちは山々だが、このご時世なかなか大きくこんなストーリーを使ってくれるところも少なく、まして広告を出してくれるメーカーがスポンサーについていなければなおさら。いつかそういう流れを変えて、ビッグウウエイブに向かうサーファーたちがもっと注目を浴び、追求しやすい環境をメーカーがサポートすることで作り上げることができ、それを見守る私たちの文章や写真も少しはお金に変わっていく時代が来ればいいなあとは思うが、だからと言ってお金にならないからやらない、というほど軽い気持ちでジョーズで乗る者、写真を撮ってる者は一人もいない、みんなその自然のパワーや人間の可能性に魅せられて通わずにはいられないだけだし、ある意味ジャンキーなのだ。
篤君が今日のセッション、ライディング自体を自分で満足しているかは別として、素晴らしい経験であったことは確かで、今まで以上にやるべきこと、やりたいこともはっきりしてきただろう。
来ればくるほど知り合いも増えてくるだろうし、声をかけてくれる人も増える。応援してくれる人も増える。けっこうみんな見てないようで頑張ってれば見ているものなのだ。今日だけでも随分の人から声をかけられた篤君は私が見たところではまだまだポテンシャルの全てを発揮しているわけで把握、遠慮もあるし。思い切りいけない要素もいろいろある(怪我をしてはいけない、道具があっていない、ビジアーであるなど)でも実力的にはもっと大きい波、もっと奥から攻められるものを持っているし、何より冷静な判断力と観察して分析する力がある。
またジョーズの魅力、魔力には取り憑かれ、頭から離れないサーファーがまた一人増えたかな。
よる最終便でオアフに戻った彼、また仕事をしながらジョーズで乗るためのガンをシェイプして乗り込んで来るだろう。
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岡崎友子
地球の風と波をもとめて旅する人
プロウインドサーファー、プロカイトボーダー
出生地 神奈川県鎌倉市
居住地 ハワイ州マウイ島
岡崎友子ブログ”WINDMAIL DIARY”
http://windmaildiary.blogspot.jp/
岡崎友子facebookページ
https://www.facebook.com/tomoko.okazaki.391?fref=ts
鎌倉で生まれ育ち、16歳でウインドサーフィンを始め、すぐにその頭角を現すとプロウインドサーファーとして世界を回り始める。1991年にはウェイブライディングの世界ラインキング2位という結果をもたらし、そのほかの多くの大会でも決勝進出など活躍する。ただし、その後に気の合う仲間たちと良い波や風をもとめて旅をすることの方が点数を稼ぐよりも楽しいと思うようになる。
その後は、ウインドサーフィンに限らず、スノーボードではアラスカやそのほか多くの大きな山を滑る初の日本女性スノーボーダーとなり、カイトサーフィンでは女性のパイオニアとして世界を旅し、スタンドアップパドルでは、波乗りやレースを楽しむとともに長距離レースやダウンウインドレースのサポートもして、道具が変わっても いい波や風、雪を求めて旅を続けるスタイルは変わらず。旅や出会った人たちから受けるインスピレーションをテーマにフリーランスのライターとしても活動中。
また、女性のためのウィンド/カ イト・キャンプにも情熱を注ぎ、「海は想像以上のものを与えてくれる」と彼女は確信している。