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村林知安info

“You Gotta Give Respect To Get Respect.”/村林知安

2015.11.09

なんかいろいろあったけど、俺が思うところを、
「SUPAはアマチュアの組織だよ」と今回の件が起こる前にSUPAの代表格であるTさんが言ってたよ。
「プロを求めるならそれは間違っている。」
と言っていた。
運営している人達は、SUPが好きでボランティアで動いている人もたくさんいて、大変だと思うし、こういう場を設けてくれていて大変感謝しています。
組織をさらに良くして、世界と同じものにしたいなら、SUPを熟知して、世界を知っている人が組織にいないと無理だと思う。

友人のケニーは今回とても悔しかったと思う。
彼の成長は凄まじい、世界でトップ20に入るパドラーが日本にいるんだから。
荒木さんもすごいと思います。
ドラフティングするにしても、最後抜き去るにしてもパドル力がないと無理だから。
それがフェアかフェアじゃないかは別として。
素性がどうであれ。
その人のスタイルで、 作戦だからね。
FBなぜかブロックされてるけど笑
昨日握手したじゃないですかー、そろそろブロックといてくれたら嬉しいです。
会うと和かに話ししてくれますよ。
ありがとうございます。

負けると悔しいから、ライバルだから、憎しみもある。
でもそこまで?
と正直感じるし、気持ちが冷めました。
最終的には相手は関係ない。自分との戦い。
みんな同じように苦しいトレーニングをそれぞれの形で続けているんだから。
レース中はガチでも終わったら検討を讃えあって握手したいよね。
煽りあっちゃって、プロレスなの?
見ている人を楽しませるのもプロの仕事。
アマチュアが運営するショーなんだよ。
「レースって素晴らしい、私もやりたい」って思ってもらわないと。
そりゃ負けたら誰でも悔しいよ。
来年、僕の住んでいる青島でこんなことになるんなら、別の場所でやったほうがいい。

見ている人は見ている。
表向きだけで自分のことを判断する人は相手にしなきゃいい。

俺の尊敬する人がいたら、今回の件を見てこういうだろう。
「それも人生。次でしょ、次。」
まだ何年も、何回も続くんだから。
また思いっきり漕いで、波に乗ればいいじゃない。

俺もまだまだ両方やるよ。
尊敬する人みたいになりたいから。
選手としても人としても。
“You Gotta Give Respect To Get Respect.”

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OCEANS WATCHER

村林知安

オーシャンアスリート
出生地 広島県呉市
居住地 宮崎県

SUP TOMOホームページ
http://www.sup-tomo.com

村林知安facebookページ
https://www.facebook.com/tomoyasum?fref=ts

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18歳でウィンドサーフィンに出会う。高校卒業後、一旦就職するが、夢を捨てきれず3ヶ月で退職し、マウイへ。9ヶ月間マウイで修行したのち、日本のウィンドサーフィンの聖地・静岡県御前崎へ拠点を移す。

2000年夏、22歳、カイトボーディングを始める。
2002年、千葉県富津で行われた全日本大会で優勝し、ニューカレドニアでのワールドカップKPWTの本選出場権を獲得。
日本人として初の世界大会9位入賞。

2003年7月、ワールドカップPKRAスペイン・フェルトベントゥーラ初参戦、予選突破。
2004年、PKRAドミニカに参戦するが、予選敗退。その悔しさをバネに練習を重ね、同年10月、ハワイ・マウイ島での世界大会、Red Bull King of the Airに参戦。予選で2003年ワールドチャンピオン、マーク・シンを破り本選出場。本選では2回勝ち上がるも途中敗退、結果13位。

2005年4月、活動拠点を沖縄県石垣島に移す。
同年10月の、ハワイ・マウイ島での世界大会Red Bull King of the Airでは日本人でただ1人の予選通過、総合25位。

2008年より再び御前崎を拠点とし、日本各地で行われるカイトのイベントにプロモーションとして参加する傍ら、世界にも通用するパワフルなライディングを目指し、日々修行中。

2006年より始めた”スタンドアップパドルサーフィン”でも、国内大会、海外大会にも積極的に参加。
国内SUPレースでは、毎年鎌倉で行われる”PADOBO GP”スラローム、コースレース部門で3年連続優勝。

2009年、ハワイ・マウイ島で行われたSUPダウンウインドレース”Paddle champion ships Maui”に参戦し、12’6クラスで3位入賞。

2010年、7月25日には世界でもっとも過酷なパドルレース”Molokai to Oahu”レース(32マイル=約52キロ)に参戦。
SUPクラスでは日本人として初めて参戦し、5時間55分18秒でフィニッシュを果たし、パドルボード、SUP全出場選手(SUP2人チーム、3人チーム含む)139人中39位。SUPクラス70人中22位という初参戦にしてはまずまずの結果を残した。

2011年 7月、ハワイで行われたダウンウインドレース(計3戦)に参戦。
3戦とも、好成績を収め、中でも2度目の挑戦となる世界でもっとも過酷なパドルレース”Molokai to Oahu”(32マイル=約52キロ)では、SUP総合7位でフィニッシュ。
2011 IRAKO LONGBOARD CLASSIC SUP Class 優勝。
2011年には、世界でもっとも過酷なパドルレース”Molokai to Oahu”(32マイル=約52キロ)において、SUP総合7位でフィニッシュ。目標だったトップ10入りを達成。年齢別で は1位で表彰台に立った。タイムは”5:01:03″で世界歴代トップ10タイムに記録された。
2012年 7月 3年連続出場となる”Molokai to Oahu”で自己記録更新の4時間59分3秒。 UNLIMITED MEN 11th. 年齢別2位 Time 4:59:03。
2012年10月第1回全日本SUP選手権で総合優勝。
世界のトップパドラーになるべく、近年は”Molokai to Oahu”に標準を合わせSUPでのトレーニングに力を入れ、波があればSUPサーフィン、 サーフィン、風が吹けばカイトサーフィン、ウインドサーフィンと、その日の海のコンディションに合わせて日々トレーニングに励んでいる。

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