今年もISA世界大会を終え、先日無事帰国しました。北欧デンマークの寒くて冷たい空気と比べると日本はまだまだ暖かく感じます。まだ時差ボケが取れない今日このごろですが、次の大会に向けてトレーニングも再開しています。
今回の世界大会はヨーロッパで初の開催ということもあり、ヨーロッパ各国のチームが参加していて過去最大規模の大会となりました。参加チームは去年の26カ国より多く、42カ国に増えていスケールの大きさを感じました。強豪国のフランス、イタリアやオーストラリアはSUPがオリンピックになることを見越してサーフィン連盟やウェイクボード連盟と連動し全メンバー揃ったチームだけでなくトレーナー、コーチ、メディアクルー、マッサージ師をチームにつけていました。
日本代表チームは大会前の水曜日に成田空港で合流しデンマークに向けて出発。デンマークまでは直行便で10時間半とそこまで大変な移動では無く、SAS (スカンジナビア航空)も親切にレースボードを運んでくれました。コペンハーゲン到着後はホテルにチェックインし、数日間はコースを漕いだり観光をしたりと調整。美味しそうなパンやペーストリーが多かったけどレースを控えていたのであまり食べすぎないように注意。
到着して数日が経った金曜日にParade of the Nationsと開会式が行われました。今年は各国の選手たちが国旗を持ち、多くの観光客がいるコペンハーゲンの街をパレード。開会式はコペンハーゲンのランドマークとなっているオペラハウスの前で行われ、ISAのプレジデントからSUPの種目が2019年のISAサーフィン世界大会と同時開催されること。そして2024のパリ・オリンピックの際にセーヌ川でSUPのレース種目が取り入れられる可能性が高いことを発表しました。
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ロングディスタンス 18kmレース
大会初日に行われた18kmのロングディスタンスレース。コースはオペラハウスの前からスタートし、コペンハーゲンの港を周り、オペラハウスの裏の水路を漕ぐ1周4.5kmのコースを4周。フラットウォーターと思われたコースでしたが、港の中では遊覧船などの交通量が多く、海面はチョッピーなコンディション。男子のスタートは70人超えと過去最高の人数。この人数でのスタートとなると去年のようにスタートで遅れてしまうと取り返しがつかないと思い、スタートから全開で漕ぎました。お陰で最初のブイまでは4位。そしてその第2ブイまではトップ集団で順調なレース展開。第2ブイの180度ターンで自分の二人前のイタリアの選手が落水したせいでその前を漕ぐ6人とその後ろを漕ぐ選手の差が開き、この最初2kmの差が縮ず第1集団はこの6人での展開が繰り広げられた。この後に続く僕がいた第2集団には8人。基本この集団で自分は最後まで漕ぐことになりました。
2周めの港側でこの集団を途中失い、一人で追うという厳しい展開になりましたが、4週目で2人を抜きロングディスタンスレースを12位で終えました。ロングディスタンスレースでは「漕ぐ力」やスピード的にはやっと対等に戦うことができていることを感じました。ただそれ以上に課題が見え、自分に足りないのは「ハイレベルのレースでの展開や戦術のスキルや集団で漕ぐレース運び」。このレースでトップ2集団にいた14人の選手を国別で見分けると:
ハンガリー 2名
フランス2名
ハワイ 2名
イタリア 2名
ニュージーランド 2名
オーストラリア 1名
日本 1名
オーストラリアはジェイムズが遅れをとったので例外となっていますが、上位の選手は同じ国の選手がいるところばかりです。ハンガリーの選手たちは兄弟で日々ハイレベルの練習をして、競い合うという展開やドラフティングを使った戦術を研究している。実際のレース映像を見ていても二人で交代しながら、第1集団を引っ張っていました。ニュージーランド、アメリカ、ハワイ、フランスは各国でのレベルが非常に高く、国内の大会や日々の練習でも世界大会と変わらない展開が繰り広げられている。それに変わって自分は日々一人・または自分より遅い選手と練習し、レースに出ても基本先頭を一人で漕いでいることが多い。一人で練習したり、先頭を漕ぐということは常に引波がないきれいな水を漕げるのでいくら速くなっても国際大会の環境とは180度違う環境。
漕ぐスピードを今以上上げるのは本当にミリ単位の進歩になるが、日々の練習環境環境を変えることしか国際大会での成績上げることができないと確信した。
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200mスプリント
翌日には200mのスプリントレースが開催された。このレースはフラットウォータースプリントだと思っていたらスタートもゴールも結構アバウト。オペラハウスの前で行われたため、船が通ると引波が起き、前年のエクシビションで開催されたスプリントとは違う難しいレースとなった。自分は第3ヒート。ヒートにはイタリア、フランス、ハンガリーを含む9名がいてトップ2人が決勝に進出できる。前のヒートを見ていても船が通るタイミングや引波の動きにより、コナー・バクスターや去年銅メダルを獲得したスレーターを見て慎重に自分が並ぶ場所を選択した。
僕が選んだのはオペラハウス前。流れが一番いいと思い、同じ選択をフランスのアーサーがしていた。その反対の一番左側にはハンガリーのダニエルとイタリアのニカ。彼らは船が通ったときに引波を活用できると思ったんだと思う。
スタートを切り、最初の500mはかなり板も走り順調。そこで、少しのチョップに板があたり、一瞬失速してした。そこからまた板をプレーニングさせるためにスピードを上げたときには1艇分の差が開いてしまい、巻き返せず予選敗退となった。正直フラットウォーターの中でガッツリ漕いで勝負したかったという悔いが残るが、そんな中でもスプリント・キングのキャスパーはしっかり優勝している。
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Cold Hawaiiへ
スプリント種目を終えた夕方には後半戦のSUPサーフィン、SUPテクニカルレース種目の為に大会主催者側が用意してくれた大型バスでCold Hawaiiと呼ばれているDenmarkの北にあるVoruporという町へ移動した。コペンハーゲンからVoruporまでは約450km。コペンハーゲンを離れて30分経つとカリフォルニアの田舎のような自然に囲まれた。VoruporがCold Hawaiiと呼ばれ始めたのは前に風力発電の施設を建設するという計画があったときに町の人たちが反対運動をした際に「この海岸や景色を守る為に、Hawaiiと同じぐらい美しい自然があることを多くの人に伝えるためにCold Hawaiiという名前がついた」と地元の人たちが言っていた。ホテル生活で観光客が多いコペンハーゲンに代わり、Cold Hawaiiでは一軒家に泊り、リラックス時間を過ごすことができた。コペンハーゲンは毎日晴れていて暖かかったが、Voruporは気温も寒くほぼ毎日冷たい雨が降っていた。
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テクニカルレース予選
テクニカル種目は男子は16人のヒートが4つ火曜日に行われた。テクニカルのコースはビーチをスタートしてから6ターンある1km弱のコースを4周。1周ごとにビーチ・ランのトランジション。予選は各ヒートから5人通過。20人が直接決勝に進み、進めなかった40人弱の選手がレパチャージレースをやり、30人決勝。
僕は第3ヒートでコナー、リンコン、ノアのいるヒートになりました。テクニカルレースはスタートが鍵をにぎるということで、予選だけどスタートは全力でダッシュ。第1ブイにはノアと同時に先頭で到着して、第2,第3ブイへ。この時点でコペンハーゲンでのレースと長い移動の疲労のせいか、体の調子があまり良くなかったので、ペースを落とし残り3週を5位の順位をキープして予選通過。スタートダッシュの感覚をつかむことが出来たので4日後の決勝までに疲れを抜くことに専念しようと思いました。同じく日本代表で出場していた吉田選手も無事予選を通過し、ファイナル・デイの決勝に進むことが出来ました。
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SUPサーフィン応援
予選から3日間が空き、テクニカルレースの決勝が行われました。決勝までの期間で、SUPサーフィンの種目が行われました。波のコンディションはオンショアの湘南という感じで決していい波ではなかったが僕達レース組の応援とサポートをコペンハーゲンの時からしてくれていた日本代表SUPサーフィンチームを全力で応援。サーフィンの競技はコンディションも選べず短い時間でいかにいい波に乗るか。ヒート運など様々な要素が含まれているなと見ていて感じました。ハードなコンディションで多くの選手が苦戦している中、堀越ファミリーの2人が準決勝まで勝ち進んでいるのを見て決勝に向けてかなりいいエネルギーをもらうことが出来ました。
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テクニカルレース決勝
テクニカルレース決勝当日のコンディションは強いサイドウィンド。スタートラインには30人。この距離のテクニカルレースではかなり多く、大混雑が予想されたので予選同様スタートダッシュでいい順位につけそこからはスマートなレース運びをして最後に追いかけるという展開を意識した。ラン・トランジションでは予選でもボード・キャディーをしてくれたマネージャーの鈴木さんにキャディーをお願いして、前日に練習出来たのでスムーズなトランジションを意識した。
スタートラインが狭く、肩がぶつかり合うほどでスタートの合図がなってボードを水に置こうとした瞬間、板の間に挟まれ置く場所が無く落水してしまい、第1ブイを最後尾で回る展開に。そこからは引波がすごかったので出来るだけ引波を使い、1週目の終わりには20位ぐらいまで順位を上げた。体力は温存出来ていたので2周目の初めにスパートをかけると16位まで順位を上げた。ただここから世界大会で前の選手たちも自分より速かったり自分と同じぐらい速いため、差がなかなか縮まないまま、テクニカルレースを16位で終えた。
正直全力で漕ぎきったが、前の集団にスタートから遅れを取り競えなかったので不完全燃焼と言う形でレースを終えた。
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国別対抗リレー
テクニカル決勝の翌日には国別対抗リレーが行われた。日本チームはプローンの男子が菊池選手。プローン代表の女子選手が急遽大会に参戦できなかったため、女子SUPサーフィンの堀越ゆうか選手が参加。SUPは女子が佐藤選手。僕がSUP男子でアンカーをさせていただきました。予選は少し手こずったが5位で決勝に進出出来ました。
決勝では佐藤選手と堀越選手が前に追いつき、順位を守ってくれて僕はアンカーとして全力で漕ぎました。決勝10チーム中8位で終えました。日本の国旗を胸にこのようにチームでレースに挑めたのは本当に良かったなと思いました。
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日本代表総合9位
最終的に日本代表チームは各種目の総合得点で国別9位で終えました。テクニカルとディスタンスプローン女子のポイントが加算されていない中、チームとしては大健闘だったと思います。その大きな理由がスプリント種目での佐藤選手の4位。そしてSUPサーフィンで堀越親子が揃って準決勝に残ったことだと思います。実際プローンの女子のポイントがあれば、5位争いに入れた可能性が高いです。
来年の世界大会は個人もそうですが、国別対抗でトップ5を狙えるように日本代表もフルチームで参戦したいと思います。そのためには派遣する日本の各団体がもっとしっかりして、各競技の選手たちが目指せる必要があると思います。
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大会を終えて
2017のISA世界大会は個人的には目標に届かず悔しい大会となりました。そんな中、自分の中でやらなきゃいけないことははっきりしていて、まだ上に上がるために打てる手は沢山あると感じました。2024にはパリでオリンピック種目になる可能性も高く、その時にはしっかりメダルを狙える立場にいたいと思います。そしてその前に国際大会でもっともっといい成績を残していかなくてはいけないと感じました。
世界では15−16歳で大人と対等に戦っている若い選手が沢山います。日本でも少しずつ増えている若い選手たちにはこのISAの世界選手権に出場するために日本代表を目指してほしいと思います。実際他の国際大会は誰でも「出たい」と手を上げれば出れる大会です。年齢別のディビジョンも無く、純粋に世界基準の中どこに自分がいるかわかる素晴らしい機会です。
そしてこのような舞台で戦える選手を育成するために、日本の協会や各大会主催者にはもっと短いテクニカルレースやもっと長いディスタンスレースを開催してもらいたいと思います。距離が長くなれば安全管理やタイムスケジュール的にはめんどくさかったり主催者側にとっては大変のことが増えると思いますが、日本で18kmのレースを漕ぐ機会が無いのに海外で18km以上の距離をレースで漕いで結果を残すことは出来ません。一般の方が楽しめるレースも大切ですが、若いトップ選手を育成できる仕組みを作らなくてはいけないと思います。
僕も日本を代表して出場する限り、2018の大会までに自分のレベルを上げてチームに貢献できるように頑張りたいと思います。
日々一緒に過ごした日本代表の皆さん、そしてマネージャーの鈴木さんと横山さん。本当にありがとうございました。来週からPacific Paddle Gamesの為にカリフォルニアに出発します。
応援してくれるスポンサーの皆さん、そしてファンの皆さんありがとうございます!全日本・Japan Cupでお会いしましょう!