阿出川潤info
MAUI DAY 10/阿出川潤
2016.02.07
2016.02.02 この日は僕と本橋くんにとって特別な日に。 ジョーズ、ペアヒといえば僕たちのようにウィンドサーフィンをしている人間からしてみればそこで乗れるのは特別な人、選ばれた人たちが入る場所と考えていました。 SUPを始めて世界の色々な場所でやればやるほど旅先ではいつかはペアヒやりたいよねと語り合う時も。
今回のマウイも目的はサンセットビーチでのSUPのコンテストに出るためのトレーニングでしたが日本を発つ前からも心のどこかでは”やりたい”という気持ちがありました。
マウイに来てからアウターリーフでのSUPセッションのあと、日本人で最初にペアヒをサーフィンでライディングした井口タカさんからも色々話を聞きその気持ちがさらに強くなり今回のステイの中で必ずやるという気持ちが強くなった。 この日の前日友子さんからも”明日チャンスかも”というメッセージをもらってから一気にテンションが上がり緊張で晩御飯もあまり食べれず、あまり寝れずに朝5時くらいに目を覚ましてストレッチをしてコンドミニアムを出て車に乗るとハナ方向へ車を走らせていました。
到着するとサイズもメジャークラスではないので人もいない、サイズがないと言ってもブレイクすると数秒後に来るペアヒサウンドはそのままで遠目で見ているのでサイズが分かりませんがその音ででかいのはわかります。 たまにくる西からのうねりが入るとそれはいつも見るペアヒの波そのものでした。 最初からこの場所を初トライするときは波が割れるか割れないかギリギリのサイズを狙っていましたが、ブレイクしている波は小さいとはいえサイズがあるのは間違いないのが遠目でもわかる。
この日に限って携帯をつなげるWi-Fiを持ってきておらず誰とも連絡が取れない…..と一度車に乗り戻ろうとすると道の向こうから土煙を上げて下ってくる本橋くんの車が。
一緒にまた海を見ていると二人ともおもむろにリアゲートを上げてボードをセッティング、フローティングベスをを着込み言葉数少なめにゆっくりと崖を下る。
エントリーするところは直径40cmくらいの石がゴロゴロしていて波が来るとそれが動いて極めて足場が悪くタイミングが狂えばかなり危険なエント リー、いろいろな話を聞くとボードを折ったり、フィンを折ったりするのは普通なことでまずはここをクリアーしないとブレイクにたどり着けない。
僕はちょうどタイミングよく出れましたがそれでもフィンを思いっきり岩にぶつけてあわやフィンブレイクかとビビりましたが無事だったのが幸運。 本橋くんもタイミングを逃してしまいましたが無事に二人で第一関門を突破してチャンネルからブレイクする場所へ行くことできました。
まず今回はチャンネルからブレイクを見て潮の流れ、水の集まり方、うねりの向きでのブレイクの仕方などを見ることが大切だと思って1時間半ほど見て いるとだんだん気持ちが乗ってきたので何本かうねりから行こうとしましたがうねりのスピードが尋常ではなくなかなかボードを落とせない。
とにかく水の動きがすごくて普通に立っていることすらままならいし、家一軒はまるまる入ってしまうようなスケールの大きいブレイクに目を奪われなが らも少しずつポジションがわかってくるようになり、タイミング取りを数回しているとアウトサイドからベストな形で入ってくるうねりが来ていたので後はボー ドをうねりに落とすことだけを集中してパドルをしてなんとかボードを落とすことができてテイクオフ。
波に乗った瞬間に今まで感じたことのないスピードが出ているのですがボトムからの水の巻き上げがすごくてなかなか降りていかない、、、バックハンド から波の出口を見ると見上げるような水の壁がぐんぐん出来上がりただただここを抜けることだけに集中して…..後ろから聞こえて来る波の音は今まで聞いた ことなかった。
この波をメイクしチャンネルに飛び出した時、感動で身体中の震えが止まらずそして目頭が熱くなり何で自分が今までSUPサーフィンをやってきた理由がわかり、そしてSUPサーフィンを始めて本当に良かったと。
波に乗った後も数分チャンネルで何もできない放心状態が続き、またラインナップに戻ると数分後には本橋くんも素晴らしい波をメイクし僕と同じように 体を震わせながらラインナップに戻ってきて海には二人しかいないのに言葉もなく握手をしていたことは覚えています、二人とも興奮と感動で何が何だかわから ない状態でしたが多分思っていたことは同じだったのでは。
3時間で一本。 サイズもいつもどおりのピアヒではないけど最初の挑戦にしては最高でした。 二人ともなんとか岩場から這い上がり崖を登り車に戻るとものすごい充実感を感じることができました。 大げさではないけど本当に怪我もなく体も無事に戻れてきて本当に良かった。
昨年ピアヒをやるときは絶対にマリンジェットをチャーターして….と話し合っていましたが初トライは崖を降り、そして波に乗り、戻ってくる。 リスクはものすごいものですが僕たちにとってこの場所はSUPサーフィンをやっていれば必ず来る到達点、神聖な場所、だから最初のチャレンジは誰もが通る道を避けずにやらなければいけないという気持ちがあったのかもしれません。
結果でも見れば長い時間をかけてアプローチしたことでより海を見ることができたし、波に乗る気持ちをセットできたような気がします。
僕たちがアウトサイドにいるときに来ていたtowinをやっていたジェット。 こうやってみるとサイズありますね。 今回ライディングの写真も何もなく記録はありませんが、でも逆にそれが自分に何でこの波に乗りたいのか….と問いかけることができ、純粋にこの波に乗りたいからここにいるんだと強い自分の気持ちを確認することができました。
ピアヒ初チャレンジを終えて…..
本当にSUPサーフィンをやり続けて良かったなと思います、ここまでの波に乗れるようになるまでは色々な過程、辛い時期もありましたがそれをひっくるめてのこの日の一日だったのかなと。
そしてこの場所に身を置いたことによって自分の足らない部分を痛感しました、ここの波に乗るには今まで自分がしてきた以上の努力が必要なこともわかりました。
一つの通過点を通り過ぎ、また目標がでそれに向かって頑張っていく過程を楽しみながら努力をしていきたいです。 今回使ったボードはNaish Hokua8`10 gun、ビックウェイブ使用でありえないボード重量ですがピアヒをやってみるとこのボードの重さがなければ波に乗れないことがわかりました。 僕のパドル力だったら9`4-9`8くらいで幅23 1/2 〜24がベストのようか気がする。
本橋くんはMelの9`2ガン、本橋くんもここの波をやってみてボードへの考えがまた広がったようです。
夕方風が入ってしまつたノースショアを離れてウェストへ。
サイズはないと言ってもセットで肩くらいのファンサイズ、午前中のセッションとは真逆のファンセッションを楽しむことができました。 Naish Japanの麿さん、伊佐さん、いつもありがとうございます。 Patagonia、サーフの山崎さん、池谷さん最高のサポートいつもありがとうございます。 そしていつも応援してくれるTED SURFのメンバーの皆様ありがとうございます。
SUPサーフィンを始めて10年ちょっと、本当にこのスポーツを始めて良かったです。
小さなステップですが大きな階段の一つを登ることができたそんな一日だったと思います。
阿出川潤ブログ”Jun’s Ocean Life”より
http://oceanlife.jp/blog/?p=5502
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阿出川潤
プロオーシャンスポーツアスリート
出生地 千葉県いすみ市
居住地 千葉県いすみ市
生年月日 1973年8月3日
TED SURF OCEAN SPORTS代表取締役
サーフユナイテッド株式会社取締役
スポンサー:Patagonia、Naish、GoPro
TED SURF OCEAN SPORTSホームページ
http://www.tedsurf.com/
阿出川潤ブログ”Jun’s Ocean Life”
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阿出川潤facebookページ
https://www.facebook.com/jun.adegawa
サーフショップを経営する父と母の間に生まれ幼少のころからボディーボード、そしてサーフィンと海を中心とした生活を送り小学高学年になるとウィンドサーフィンを始め風を受けて海上を自由自在に走れる事の魅力に取り付かれ高校を卒業と同時にウィンドサーフィンのメッカ、ハワイ.マウイ島に生活の拠点を移しウィンドサーフィン、サーフィンを中心とした生活を6年間送る。
帰国後プロウィンドサーファーとして国内のコンテストを転戦、フリーライドでは台風やエキストリームコンディションでのライディングなどがフューチャーされ注目されるがハワイでのウィンドサーフィンと千葉外房エリアでのコンディションのギャップに悩んでいたところにカイトサーフィンと出会う。
ウィンドサーフィンほどの強い風もいらず、今まで見向きもしなかったコンディションが最高のフィールドになり九十九里外房エリアのパイオニアに。
現在は1964年、父の代から続く老舗サーフショップの看板を大事にしながらカイトサーフィンの普及につとめ、また風がないときはサーフィン、そしてSUPサーフィンなどのニュースポーツをいち早く取り入れ海で遊ぶ事によって健康で充実したライフスタイルを送れる人が一人も増えたらと日々自らを海というフィールドでトレーニングをしています。
現在はショップオーナーとして、またpatagonia社のアンバサダーとしてサポートを受けプロライダーとしても活動し海を中心としたライフスタイルを送っています。